山行報告

2021.11月~2022.10月分

2022年10月28日~30日 蒜山三山(下蒜山 中蒜山 上蒜山+)

 

参加者:4人、 天気:晴れ時々曇り

 

 

 

10月28日(金)

 

阪急上新庄駅に6時45分集合しプリウスで出発。

日本海に近づくにつれ雨がパラパラしてくるが、明日、明後日の予報は晴れだ。

21時40分ころ真庭シティホテルサンライズにチェックイン。全国旅行支援のおかげで割引の上にクーポンをいただき差し引き数百円で泊まれた。こんな施策はどうかとは思うが。

 

 

 

10月29日(土)

 

翌朝は6時少し前に宿を出立し上蒜山の下山口駐車場で予定通り7時に広島からのリーダーと合流した。ここに車を1台置かせていただき下蒜山の犬挟峠登山口へ。隣に火葬場がありその前から7時30分頃登山道に入る。いきなりの急登でここから下蒜山山頂までのコースタイムは約1時間50分。昨夜の雨でぬかるんでいるところもあるが、登山道は整備されて歩きやすく、他の登山者やハイカーもそこそこ歩いている。

紅葉も盛りでところどころ山が燃えているように赤い。

ほぼコースタイム通りに9時20分ころ下蒜山山頂(1100m)に到着した。

天気は悪くないが雲の流れが早く晴れたり曇ったりを繰り返す。ここで写真と休憩を取り下りだす。

思ったよりも下りは長く、最も低いあたりがフングリ乢(ふんぐりたわ、813m)である。ここから登りかえして頂上の避難小屋の先が中蒜山山頂(1123m)となり昼食を取る(11:20ー11:50)。

写真を撮り避難小屋の横から下りだす。天気はよくなり稜線上を来た道、ゆく道が眺められる。

坂を登りつめると3座目の上蒜山山頂(1202m、13時頃)となる。

休憩していると藪から青年が現れた。その先にもうひとつの上蒜山があることがわかり、ここまで来たのだからと行ってみるが、笹の海を泳ぐことになる。足元は見えず道もわかりにくいが何とかたどり着いた。三角点はここにあった。(1199.7m、13:15)

1202mのもと来た山頂に戻り13時30分頃下山を始める。

なだらかな稜線を下ると、大山や歩いてきた蒜山三山が見れた。槍ヶ峰ではコーヒーを淹れ眺めを楽しんだ。(13:50ー14:20)

その先は下り下りで足腰膝が悲鳴をあげてきたころ15時7分に上蒜山登山口についた。少し歩いて駐車場に15時30分に着き、そこから車で登り口に車を取りに行った。

 

車が2台あったおかげで蒜山三山(4座)を縦走することができた。

この日の宿は蒜山なごみの温泉津黒高原荘。

ゆっくりと温泉で疲れを取り、夕食はビール、日本酒、ワインを楽しんだ。

ここも全国旅行支援とクーポンに加え岡山県独自のお酒半額でお得に飲み泊まることができた。

 

 

 

10月30日(日)

 

8時30分に宿を出発し、道の駅蒜山高原経由で蒜山大山スカイラインを通り鬼女平展望台に立ち寄る。人気の展望台で少し歩くと眺めのいい場所がある。

そして一向平(いっこうがなる)キャンプ場から歩いて大山滝を目指す。お気軽なハイキングコースかと思いきやかなりハードで、途中気の遠くなるような梯子状の階段や吊り橋を越え川沿いを歩き、旦那小屋跡(昔たたら師の住んでいたところ)や木地屋跡を通ると目指す滝の上部に着く。

大山滝は加勢蛇川上流の地獄谷にあり、平成2年に「日本の滝百選」に選ばれた県下最大の名滝である。

少し下ると展望所があるが、我々はさらにその下の滝の直下まで鎖につかまり降りて滝の水に触れることができた。落差43メートルでなかなか迫力がある二段の大きな滝である。昭和9年の室戸台風までは三段あったようだ。

帰りは梯子階段の上りが、昨日の疲れもありきつかった。

 

車に戻り、ひるぜんジャージーランドのコスモス畑を見てジャージーソフトを食べ、ヒルゼン高原センターで蒜山焼きそばなどを食し、15時ころ道の駅蒜山でリーダーと別れ帰路についた。

 


2022年10月23日(日) 歴史ウォーク 「飛鳥の古墳を歩く」

 

王陵の谷・渡来人の里・越智丘陵

コースリーダー及び特別講師:畠井浩氏 

参加者:6人

晴れ時々曇り

 近鉄「岡寺駅」9 時 35 分に集合する。

 

今日の案内役は古墳を研究されている畠井浩氏。

駅すぐの牟佐座神社(むさにいますじんじゃ)鳥居前で詳しいレジュメと地図、皇室系譜を参加者各自にいただく。

ここから奈良県最大の古墳である五条野丸山古墳を眺めながら説明を受ける。

 

そこから橿原ニュータウンの団地群を抜けて山道に入り、坂を上っていくとあたりは竹林となり、やがて巨石が眼前に現れる。益田岩船である(10:15),。上から見ると2つの穴が並んで開いている。これは岩をくりぬいて石槨を作ろうとしたが、岩が割れてしまい放置されたとのことだ。ここから山道をさらに進むと竹林を抜け、牽牛子塚古墳(けんごしづかこふん)に着いた(11:20)。今年3月に整備公開されたばかりで白い貼石がまぶしい。形は八角形でこの時代の天皇墓の特徴である。牽牛子とは朝顔のことで八角形の朝顔の花を伏せた形から名が付いた。石槨は横口式くりぬきで2つの墓室がある。先ほどの益田岩船で岩のくりぬきに失敗したので、加工のしやすい凝灰岩をわざわざ二上山から運んだものだ。

 

内部からは夾紵棺(きょうちょかん、麻布を漆で何重にも貼り重ねて作った当時としては最高級の棺)の破片が出土している。斉明天皇と間人皇女(はしひとひめみこ)の合葬墓と考えられる。

 

隣接の越塚御門古墳(こしつかごもんこふん)も公開されており、出土した状態の石槨と簡単なビデオが見れた。斉明天皇の孫大田皇女(おおたひめみこ)の墓と考えられる。

ここから里歩きになり、飛鳥時代後半の墓域を歩いていく。

高台にある岩屋山古墳の内部を見学して黄泉の国を体験、飛鳥駅を通り檜前の集落内を歩き飛鳥歴史公園檜隈寺前休憩所に到着し昼ご飯となった(12:25)。

 

後半はすぐ近くの於美阿使(おみあし)神社(檜隈寺跡)から。

檜隈寺は東漢氏(やまとのあやうじ)の氏寺で元々は塔があり、そこに先の欠けた平安時代の十三重石塔が立ち、その手前の講堂跡に変わった礎石があった。

 

そして四神の壁画のキトラ古墳へ。古墳自体は大きくないが隣に古墳体験館として「四神の館」があり、原寸大の複製壁画や出土品等の展示の施設がある。

元々地元の方はこの古墳の壁画の存在を知っていて、劣化せずにきれいに見えた亀(玄武)と虎(白虎)からキトラと呼ばれていたらしい。

そしてもうひとつ壁画で有名な高松塚古墳に向かう。(14:40)

言わずと知れた切手にもなった彩色の壁画で記念切手の寄付金で建てられた壁画館を見学する。まさに飛鳥時代のタイムマシンだ。

その北は飛鳥の「王陵の谷」で、尾根上には中尾山古墳がありこれもお約束の八角形で真の文武天皇の陵墓と考えられる。

さらに北には藤原京の中軸線(朱雀大路)の延長線上にあたる野口王墓古墳があり、これも八角形で天武天皇と持統天皇の合葬墓と見られる。

鬼が通りかかった旅人を食べたという伝説にもとづく鬼の俎(まないた)、雪隠(せっちん)は2つ合わせて古墳の横口式石槨であった。

カナヅカ古墳のあと欽明天皇陵に治定(じじょう)されている平田梅山古墳や猿石を見て飛鳥駅まで歩いた。(16:20)

お疲れさまでした。

時代と場所により古墳の大きさや形、石槨や埋葬品が変わっていく過程がよくわかった。

ますます深い古墳の世界に足を一歩踏み入れた感じがした古墳歩きであった。

講師をしていただいた畠井先生に感謝の1日であった。

 


2022年10月16日(日)  京街道② 守口宿~枚方宿

 

参加者:2人、コースリーダー:吉川

 

晴れ

 

地下鉄守口駅に集合。2番出口を出たところに江戸川乱歩寓居の跡があるとのことで探索するが、どうやらマンションが建っている場所らしい。

 

ここから国道1号線を斜めにそれて京街道のはじまり~はじまり~

 

まずは一里塚跡と京街道の標識を通り八雲町あたりで地車に遭遇した。3年振りの祭とのことで各町内の手の込んだ装飾の地車がいくつも通り過ぎた。その先の京街道沿いにベンチの様に置かれた穴の空いた細長い不思議な形の石があった。(後で用途がわかるのだが)。八雲公園を通り智眼地蔵尊をお参りし、街道沿いの正迎寺さんで奥さんの話が聞けた。1350年那須又五郎為成創建の真宗本願寺派の古刹。関東からも街道を歩いて訪ねて来られる方がおられるらしい。八雲北公園ー守口市浄水場を経て淀川河川敷に出た。

 

ここからは堤防道を延々と歩く。天気も良く日傘か帽子が必要だ。

 

河川敷では青少年が野球にサッカーに励んでいる。

 

対岸の山は能勢から茨木高槻あたりの山であろう。

 

鳥飼大橋線を越え、佐太の渡し跡であろう場所を通り、鳥飼仁和寺大橋線を越え、点野の茨田樋遺跡水辺公園に行く。ここで復元された樋の形から、先程の不思議な形の細長い石が水門を動かす木の板のガイドの役目をするものだと判明した。ここは公園とは名ばかりで手入れはされておらず、引っ付き虫の盗人萩にやられてしまう。

 

淀川新橋線を越え茨田堤を過ぎてしばらく行くとやっと堤防から道は外れる。松ヶ鼻の地蔵尊をお参りし、歩を進めると旧街道らしい町並みになっていく。蓮如上人腰掛けの岩をお参りしたあたりで昼になったので、京街道を外れバイパス沿いの担々麺の店シビカラ屋ロッキーでランチとする。食事後蓮如上人腰掛けの岩まで戻り近くの光善寺をお参りさせていただく。

 

枚方大橋南詰を過ぎるとますます往時の街道らしくなってくる。高札場跡を通り1時45分ころ鍵屋資料館に着いた。入場券を買っていると、今日は2時から淀川水系についての講演があるらしい。まだ空きがあるとのことで参加させていただいた。

 

講演は「淀川・河内の人物誌」の第1回で淀川水系の舟運と角倉家で90分間。講師は京産大教授の鈴木康久氏。

 

さすが専門家だけあって興味深い内容であった。

 

明治天皇も寄られた本陣跡、常夜灯、その先には江戸初期に塩屋から始まった塩熊商店の古民家があり、くらわんかギャラリーとして歴史の研究とかジャズライブや三十石舟歌の継承等をされている。

 

そこからすぐ枚方市駅に着き解散した。

 

お疲れさまでした。

 

次回の第3回は枚方から橋本宿までを歩きます。

 

江戸川乱歩寓居の跡

 

・明智小五郎誕生の地

 

 小説界の大所・江戸川乱歩は早田大学卒業後大正九年父

 

頼って守口市に移り住んだ。二十七才の時である。

 

乱歩は新聞社勤めなどをしながら大正十五年まで、妻子とともに守口市、門真市の借家五軒を転々として暮らした。

 

 乱歩がその初期に最も制作意欲を燃やして書いた短編名作の多くは守口、門真での作である。

 

名探偵明智小五郎が始めて登場する「D坂の殺人事件」は大正十四年ここ八島町十の二階で書いた。

 

 作中 京阪守口車庫の柵のアイデアがトリックに使われた。

 

正迎寺(しょうこうじ)

 

浄土真宗のお寺で、創建は那須又五郎為成が観応元年(1350年)当時、小高瀬庄大枝に滞在していた存覚上人に帰依して善正と称し、当寺を開いたと伝えられています。

 

当寺には、伝存覚上人筆の十字名号「帰命尽十方無碍光如来(きみょうじんじっぽうむげこうにょらい)」が伝存されており、紙本に筆勢鋭く大書され、紙はやや黒ずみ存覚筆の伝えとおり室町時代初期頃と推定されています。

 

当寺には、他にも伝蓮如筆六字名号「南無阿弥陀仏」が伝存されています。

 

 


京~近江を結ぶ古道 如意越えの道! 点在する遺跡・寺門の道

大文字山・如意ケ岳・長等山

 

2022年10月2日(日)

 

参加者:3人 コースリーダー:全員

 

「京から近江への古道」を行く

 

絶好の行楽日和に恵まれた10月2日、阪急烏丸駅に集合したのは3名。今回の山行は「全員がコースリーダー」の心構えで予定通り9:40上宮の前町を出発。ここから大文字四つ辻までは京都一周トレイルのコースだ。東山山系を眺めながら、出だしから急な登りが続くのでゆっくりとしたペースで進む。

 

 沢伝いに、せせらぎの音が心地良い。途中、風情のある「楼門の滝」で小休止を取る。早速、当方自家栽培のいちじく2種を供した。旬は過ぎているが、ここ数日暑い日が続いたせいか、甘味があり、美味しく、元気をもらえたようだ。10:40頃、大文字山への分岐点となる四つ辻に出た。ここから一周トレイルからはずれて、雨乞いで知られた雨社大神を経て如意ケ岳山頂を目指す。

 

 ところが同山山頂へ近づいても道標が無く、フェンスで囲まれた一角に運輸省大阪航空局の施設があるため中に入れない。どうやら、この辺りが如意ケ岳山頂(472m)のようだ。11:30頃、琵琶湖の一部を眺めながら、昼食休憩とした。

 

 12:00過ぎに長等山に向け出発。一旦車道に出て、しばらく歩いてガードレールが途切れた個所から急な下りを慎重に下りる。この道標は分かりにくい場所に掲出されていたので見つけるのに苦労した。2つの目では見落としてしまい、冒頭の「全員がリーダー」となって、何とか6つの目で事なきを得たと思う。

 

 この辺りから滋賀県に入り、今度は同山への登り返しだ。13:10頃長、長等山山頂(354m)に到着。暫く雄大な琵琶湖を見下ろしながら小休止を取り、13:30頃下山を開始し、三井寺に向かった。同寺の広大な敷地に大きなキンモクセイがあり、何とも言えない良い香りが辺り一面に漂い、長かった夏が漸く終わり、やっと秋が来たんだと実感した。また同寺の金堂の中に入り、国宝級の仏像等を拝観した。展示されている作品は作者の気迫に満ち溢れいるようで素晴らしい。

 

 湖西線・大津京駅に15:00に到着。健康的な汗をかきながら、17000歩超え、約11kmにわたる山行の達成感に浸りながら各々が帰路に着いた。

 

(S.S記)

 


2022年9月26日(日) 和歌山県 高野三山

 

天気:晴れ

 

参加:1人(CL:Oz)

 

2.3年前に計画し天候不順にて中止。先月に計画し天候不順にて中止。3度目の正直で天気は晴れ。爽やかな青空。久しぶりの催行。しかし参加者はCL以外無し。高野山は遠い。電車、ケーブル、バスと乗り継ぎ奥の院バス停。今日もYAMAPと新しい仲間の熊鈴と共に9時37分出発。参道は暑い。観光客はまあまあいたがハイカーの姿は見当たらない。鎖が張ってあるが登山口。摩尼峠まで登り。久々の山なので息が上がる。10時11分摩尼峠着。水分補給し摩尼山へ向かった。ほどなく山頂10時22分。樹木が多く眺望は無い。ガイドブックには10分ほど歩くと休憩ポイントがあると書いてあったが見つからず黒河峠に10時45分着いた。休憩しそびれたのでここで水分補給。何も無い。2座目の楊柳山は広場があり休憩ポイントらしい。あっと言う間に山頂。確かに広い。お昼には少し早いがお腹も空いたので11時ランチタイム。ここも眺望無し人の気配も無し。ひとり寂しくそそくさと終わらせ次に向かった。子継峠から天軸山山頂12時5分。やっぱり眺望も人の気配も無し。道標は✕印だったが奥の院に戻りたかったので✕印の方に下った。奥の院御廟が見えたが踏み跡が無く無理やり下った。12時30分終了した。ここまで来ると大勢の観光客。山では人っ子ひとりいなかったのに。思いの外早く終わったので観光した。眺望も無く余り楽しい山とは言えない。

 


・2022年9月19日(敬老の日)開催予定の京街道②は 台風14号の接近による風雨が予想されるため中止とします。そのため予備日の10月16日に催行します。2022.9.18

 

 


・誠に恐縮ながら、9月4日のポンポン山への山行はCL.の体調不良により中止とさせていただきます。参加を予定されていた方には大変申し訳ありません。


・2022年8月21日の高野三山は降水確率が高いため中止にし9月26日に催行しました。


 

 2022年8月11日(木・山の日) 山崎(天王山)~ 水無瀬の滝 四座縦走コース

 

参加者 2名 天候 晴

 

朝8時に阪急大山崎駅に集合。山の日記念として設定した特別編であったが、残念ながら参加者はCL.の他1名であった。

 

天王山登山口から宝積寺で若干の史跡巡りをし、旗立松、自玉手祭来酒解神社(たまてよりまつりきたるさかどけじんじゃと読むらしい.重文神輿蔵あり。牛頭天王を祀る。山名はこれに由来する)を経て、天王山頂で一服。二座目はサントリー山。この山頂からすぐ谷に降りると、山崎蒸留所に出るとのこと。一行は下りずに小倉神社分岐に向かい、そこから南へ方向転換して三座目の小倉山、四座目の十方山に登頂。この二山は縦走路のすぐ脇に山頂があり、とても軽い。少し行くと眺望の良い岩場に出て、淀川対岸の樟葉から枚方付近が一望できた。ここから雰囲気の良い竹林の坂道を抜け名神高速道路脇の斜面を下ると水無瀬の滝につく。さすが和歌にも詠われただけあって、一条の流れが美しい滝である。暫く涼んでから東大寺荘園を経て、うどんのかぎ卯で11時半に昼食。この後、番外編で水無瀬神宮参拝、島本町歴史文化資料館見学で、この日の特別コースを終了した。 

 


2022年7月31日(日) 岐阜県金華山

 

参加者:4人(cl:oz)

 

天気晴れ

 

夏はお得な青春18きっぷで遠出を計画。岐阜県の金華山(岐阜城)へ。7:15大阪駅発米原行に乗車し9:18米原発豊橋行に乗り換えて10:07岐阜駅着。岐阜バスで岐阜公園前で下車。この公園より岐阜城へ登る。今回もめい想の小径をのんびり登る。やはり長良川からの風が抜けるためか涼を感じる。途中に温度計があり見ると29度。暑いなかではあるが登山者は多い。100分ほどで岐阜城到着。初めての人もいるので城内を見学し織田信長や斎藤道三も見たであろう景色を堪能した。空腹を感じ展望レストランで昼食。下山はロープウェイを利用し楽々。お楽しみの温泉は前回同様パークホテルでゆっくり汗を流した。帰りのバスが少し遅れていたためかあまり待たず乗車でき、JRは少し走れば間に合うか微妙だったが、電車が7分遅れだったため缶酎ハイやジュースを無事買い込み乗車できた。米原駅では隣のホームで電車が待っていたのでスムーズに乗り換えできた。いずれも4人掛けのボックスシートに乗車できラッキーな旅だった。山登りより電車に乗っている時間のほうが長く膝に置いたザックのせいか大阪駅に着いた時は大腿部と臀部が痛かった。大阪駅で無事解散した。3人は飲みに行ったのか揃って人混みに消えて行った。

 


長野県 白馬 2022年7月17日(日)~19日(火) つづき

 

コースリーダー:YT  参加者:2人

 

 7月18日(月、海の日)

 

朝4時起床、5時朝食後、準備を整え、6時白馬大池山荘を出発。目標は白馬山荘、約4時間の行程。

空は曇り霧も出て、視界が良くない。風も強く寒いと感じる。

小蓮華山2766m→三国境2751m→白馬岳2932m→白馬山荘へ(コースタイム3:35)

小蓮華山に向かう途中お花畑の中に雷鳥の親子を発見する。とても可愛い

その後上ったり下ったりの繰り返しの中、雲海はもちろん、雲が風で飛ばされ、きれいな山々の姿を見ることができた。

荷物が普段よりも重いのと小雨と風で体が冷えたが、午前11時に白馬山荘に無事到着。小一時間程部屋で休憩後、ランチのため山荘横のレストランへ、ラーメン、ハンバーガーを頂く。

時間と元気があれば、予定では白馬三山の1つの杓子岳2812mに往復2時間で行くはずであったが、強風と霧のため予定変更しすぐ下の村営白馬頂上宿舎へ

そこで、おやつタイムと帰りに必要なアイゼンを購入する。宿はとても清潔で広い。夕食のハンバーグを、いただき夜9時就寝、明日へ備える。が、夜中雨風がひどくなり、私は次の日の出発が大丈夫なのかと心配で、なかなか眠れない。が、朝方少し眠ることが出来た。起きると雨は小雨に変わっていた。一安心 HM記

 

7月19日(火)

 

前夜から雨が降り続き、午後からは特に風雨が強くなるとのことであった。蓮華温泉ルートは尾根道で風雨が強いと予想されたので、谷道で最短ルートの大雪渓を下り猿倉へ降りるコースを選択する(コースタイム4:10)。

5時から食事で6時に出発する。

白馬山荘から下り、白馬頂上宿舎の横を抜けて行く。

途中すれ違った人からの情報で大雨だと猿倉からのバスが欠行するとか💦

天気は雨だがそこまでの雨でもないと判断した。気温は昨日ほどは寒くない。

小雪渓はアイゼンを付けてトラバースするが、滑ると危険なのでロープで確保した。アイゼンを外し、しばらく岩場を降りて行くといよいよ大雪渓になる。

またアイゼンを付けて下る下る下る。

足が棒のようになった頃やっと雪渓は終わり登山道となる。

折からの雨で道は川のようになり、斜面から滝のようなところもあった。

靴の中がボトボトになった10時頃に猿倉荘に到着。

雨具しまいをしながら温かいコーヒーでひとごこち。

10時30分発の白馬行きのバスに乗り込んだ。

白馬八方バスターミナルで途中下車し、八方の湯で3日分の汗を流した。

白馬駅からは12時22分発の電車に乗り込み、山小屋でもらった弁当を食べ、松本から名古屋経由で帰った。

雨を吸ってザックはとても重くなっていた。

 

下りのペースは早くコースタイムを下回った。お疲れ山でした。

雨のため登山中の写真はありません。あしからず。YT記

 

長野県 白馬  2022年717()19()

コースリーダー:YT  参加者:2

717

新大阪駅から新幹線、特急しなの、大糸線を乗り継ぎ11:06白馬駅に着いた。4分の待ち合わせのアルピコバスで11:37栂池高原に着く。そこからゴンドラとロープウェイで栂池自然園(1825m)まで標高を上げる。自然園の休憩ロビーで弁当を食べ午後1時頃登山道に取り付く。(コースタイム3:05)

天気は曇りで パラパラと雨が降っている。今年は 雪が多いのかところどころに残雪がある。

天狗原で一旦登りはゆるくなるが、その先の雪渓ではアイゼン無しで上りだから何とかなったが、ロープにつかまりながら少し手こずりました。登りきったところが乗鞍岳(2436m)でここからしばらく下ると眼下に白馬大池と大池山荘が見えた。白馬大池の周回道にも雪渓を横切るところがあり、笹か枝を踏み滑ったが滑落は免れた。大池山荘には1630分頃に着いた。小屋はすいており、乾燥室もありトイレも清潔な洋式であった。17時よりカレーライスの食事、21時消灯。天気は降ったり止んだりで傘を差して行きました。YT

718(月、海の日)

 

4時起床、5時朝食後、準備を整え、6時白馬大池山荘を出発。目標は白馬山荘、約4時間の行程。

空は曇り霧も出て、視界が良くない。風も強く寒いと感じる。

小蓮華山2766m→三国境2751m→白馬岳2932m→白馬山荘へ(コースタイム3:35)

小蓮華山に向かう途中お花畑の中に雷鳥の親子を発見する。とても可愛い

その後上ったり下ったりの繰り返しの中、雲海はもちろん、雲が風で飛ばされ、きれいな山々の姿を見ることができた。

荷物が普段よりも重いのと小雨と風で体が冷えたが、午前11時に白馬山荘に無事到着。小一時間程部屋で休憩後、ランチのため山荘横のレストランへ、ラーメン、ハンバーガーを頂く。

時間と元気があれば、予定では白馬三山の1つの杓子岳2812mに往復2時間で行くはずであったが、強風と霧のため予定変更しすぐ下の村営白馬頂上宿舎へ

そこで、おやつタイムと帰りに必要なアイゼンを購入する。宿はとても清潔で広い。夕食のハンバーグを、いただき夜9時就寝、明日へ備える。が、夜中雨風がひどくなり、私は次の日の出発が大丈夫なのかと心配で、なかなか眠れない。が、朝方少し眠ることが出来た。起きると雨は小雨に変わっていた。一安心 HY


2022.73() 総会ハイク 箕面

 

コースリーダー:HY    参加者:6(内総会のみ参加1)    天気:曇り時々雨

午前9時箕面駅に集合、当日雨の確率は高くて、5080%

登山は諦めて池田駅近くの美術館、記念館に行く案も出ましたが、集合した時点では晴れ間がみえてきたので、雨のふり方を見ながら、当初の予定途中の六個山を目指すことにしました。

箕面駅を出発し、スパーガーデンを通りすぎ旧橋本亭の一ツ橋を越えた所で準備体操とコース説明後スタート。

ここからは階段を上りしばらくすると桜広場、右方向へささゆりコースを、歩きます。階段が急登で、つらく感じました。次はハート広場を目指します。途中望海の丘に到着、そこで少し休憩、そこからの眺めは空港などが見えてとてもきれいでした。その後ハート広場に到着、雨が一時ひどくなったため15分程してから、六個山は諦めて、リーダーを交代してもらい下山、箕面駅に到着、阪急電車で池田駅へ。徒歩15分で総会会場である池田市都市緑化植物園に到着、軽い昼食後、総会開始。

15時頃終了、解散となりました。皆様お疲れさまでした。

第26回総会は無事終了いたしました。


2022619() 京街道 高麗橋~守口

コースリーダー:YT  参加者:5  天気:晴れ時々曇り

 

今回は大阪から京都へ向かう京街道の第1回目。

京街道は元々太閤秀吉が伏見城と大阪城を最短で結ぶ軍事目的の道であったが、江戸時代は街道として栄えた。京から大坂は大坂街道、大坂から京は京街道と呼ばれた。京大坂間は水運もあったが、船賃が下りは安く、上りは下りの倍もしたので、陸路で大坂から京へ歩く人が多く京街道と呼ばれるのが多かった。

地下鉄北浜駅に集合し地上に出ると立派なライオンの石像がある。ここは難波橋南詰で中之島のバラ園が近いと言うことで中之島を歩く。残念ながらバラは終わっているが緑が多く水辺も近く都会のオアシスといった風情だ。

天神橋を渡り今回の起点である高麗橋東詰に到達しそこから歩き始める。まずは八軒屋浜に向かう。ここは江戸時代三十石舟の発着地である。しばし休憩して天満橋駅を通り大阪城の北側の豊臣秀吉時代の大阪城の石垣の復元を見て歩く。大日本帝国陸軍の兵器工廠、今や結婚式場とレストランとなった旧大阪市公館、藤田邸跡公園、新しくなった藤田美術館、コロナの影響で創価学会に売却された太閤園を通り京橋駅に到着した。京橋駅北側の駅近くにはかつて当会会長の畠井修氏の山用品のお店「青穂山荘」があった。 その場所を懐かしみながら京橋商店街に入る。

道中は所々京街道の案内板があり、関目、高殿を抜け 千林商店街に入る。乗り換え駅でもないのに大変な賑わいで、 ダイエーの創業の地でもあったとか。

商店街の洋食「てまり」で各々ランチを取り、午後の部の始まり始まりとなる。

国道1号線に並行して歩き守口へと向かう。守口は今回の京街道の中でも大きな見どころの一つである「文禄堤」が現存しており、そこだけまわりよりかなり高いところに道がつながっている。ゴールを目前にした我々は、元酒問屋の重厚な建物を改造したお洒落なカフェに入りしばしの休息と涼をとる。店内には井戸もあった。ここから今回の最終目的地のお寺 を見せていただき 守口駅地下鉄で解散となった。普段馴染みのある町並みであるが、通して歩いたこともなく途中色々な見どころもあり、大阪を再発見することができた。次回は守口から寝屋川を歩きます。


2022年65() クリーンハイク 大阪府 摂津峡〜三好山(芥川山城)

コースリーダー:水野 吉川 参加者:4人 天候:曇り

コース:JR摂津富田駅(9:05発バス)→中萩谷バス停(9:26)ー萩谷総合公園ー行者岩ー白滝ー摂津峡(屏風岩ー八畳岩ー夫婦岩)ー三好山(芥川山城、181m)ー摂津峡公園ー日帰温泉祥風苑(希望者)→高槻駅

 

 バス停、中萩谷で下車後、東海自然歩道に入り清掃登山を始める。人数は4人と少なかったが、最初からゴミ袋をプラ、ビン・缶・ペット、燃えるゴミと分けていたので回収しやすかった。摂津峡の河原で昼食を摂り、芥川山城の石垣が残る三好山へ向かう。ここでは、久々の入れたてコーヒータイム。下りは別ルートで公園まで下り事務所へ向かう。ここでゴミの回収をして終了した。温泉組と直帰に別れて帰宅。

労山への報告書は、以下の通りです。

  

結果報告

・総ゴミ量 26.5kg

・特徴 山域の自然環境とゴミについて 倒木の有無および状況・対応など

摂津峡は、高槻市が管理しているので、倒木はなかった。

三好山も私有地であり、同様であった。以前の台風で倒れた桜は花が咲くように手当てされていた。

・プラゴミの有無および状況・対応など

風化したスーパーの袋の様なものが多く、土と同化しているのを土をどけながら取った。 

今の時代、素材がプラで出来ている物が多く、拾って分類すると、普通ゴミは少なく、ほとんどがプラゴミだった。

・感想と意見

最初は、整備されていて、ゴミは少なそうに思ったが、拾いだすと4人で一杯拾う事が出来た。だった。 

古い物から新しい物まで、缶、ビン、ペットボトルが多かった。山側よりは川に捨てられていた。

普通ゴミでは、タバコの吸い殻が所々にあり火の用心が気になった。

この時期、マスクも何枚かあり、エチケットの問題だと思った。


2022.529() 【大阪府】 交野山(こうのさん)

 

CL:Oz 参加者:3人 天気:晴れ

国見山、交野山、旗振山、龍王山4座の縦走を計画。交野山への途中多少迂回になるがアンテナ山とサンドイッチ山と面白い名前の山があり6座を目指す山行とした。登山口までは一般道路。これからは暑さが辛い。国見山までの途中に夫婦岩があり展望が良いとのこと。YAMAPでは左に入るが道が判らず同じ道をウロウロしたが尋ねた方が良くご存知だったのでなんとか夫婦岩にたどり着いた。そこからすぐ国見山。展望が素晴らしかった。アンテナ山へ向かう途中新アンテナ山への案内があったのでついでだからと従ったがそれらしい山は判らず気が付いたらアンテナの無いアンテナ山に着いた。サンドイッチ山は313M3に挟まれているからだろうか。白旗池でテーブルとベンチがあり時間も良かったのでお昼にした。午後からは残りの3座を目指す。交野山は大きな岩があり展望が素晴らしかった。旗振山、龍王山は生憎展望も無く誰も無く寂しい山だった。下山道にかいがけ地蔵、かいがけの道は歴史がある。派手さは無いがまた行ってみたい山であった。

サンドイッチ山の由来は3に挟まれているのと、サンとイチの語呂合わせから来ているようである。

9:05津田駅前-9:25登山口-10:17国見山-10:54アンテナ山-11:08サンドイッチ山-12:40交野山-13:25旗振山-13:50龍王山-15:25河内磐船駅


2022.522() 兵庫県 六甲山縦走市ヶ原〜摩耶山

 

コースリーダー:YT 天気:晴れ

午前9時新神戸駅に集合。メンバーはコースリーダー含め3人。今回のリーダーは代役で多少不安だ。

新神戸駅の山側からスタート。急な坂を進み布引の滝に向かう。華厳の滝、那智の滝とともに日本三大神滝といわれる布引の滝は「伊勢物語」や「平家物語」にも登場する古くからよく知られていた滝で、六甲山の名所のひとつのである。その源は六甲山西の明峰、摩耶山から流れ出る生田川。季節が良いので、多くの人で布引の滝は賑わっていた。布引貯水池手前で草原に逃げない蛇を発見。マムシかヤマカガシか!? この貯水池は明治時代竣工の五本松堰堤(国重要文化財)石造りのダム。

堰堤に上がり貯水池を歩いて市ケ原へ。途中の分岐で上りと下りの分かれ道を何となく上り道を選択して進むとやがて道は下りだす。おかしいと思い確認すると道間違い💦あわてて引き返した。

ところどころモチツツジが咲いていた。稲妻坂、天狗道を抜ける途中で、少し遅いお昼ごはん。30分ほど休憩後、再び歩き出す。ようやく摩耶山到着。698.6mの三等三角点樹林の中で残念ながら、展望はない。

下りは天上寺伽藍跡を通る。台風で倒れた夫婦杉が看板を直撃している。

山門下、上野道を下るこの辺りはイノシンがいる。この日も親子らしい数匹のイノシシに遭遇し、危険なので早足に通りすぎる。そして摩耶ケーブル下駅横を通り、王子公園駅で解散。

お疲れさまでした。


2022.58()《兵庫県》高御位山

 

CL:oz 参加者:1名 天気:晴れ

51日雨天中止になり2週連続中止も気候の良い頃には残念に思い都合のよいozCL立候補し急遽山行とした。が当日集合時間にはCLの他は誰もいなかったので1人山行となった。鹿島神社前でバスを降り大きな鳥居をくぐり参道を通り境内へ。本日の安全を祈願し登山開始(10:20)。まず1枚岩の百間岩に取りかかる。とその前に展望台で参道で購入した柏餅を食べエネルギーを満タンにした。岩ではあるが滑り難く足の置き場にも困らず一気に高度を上げる。振り返ると市街地と、播磨灘、明石海峡大橋が一望。これから歩く道も見える。天気も良く爽快である。鷹ノ巣山、長尾奥山と景色やウグイスの音色を堪能しながらテンポ良くアップダウンを繰り返し高御位山到着(11:50)。ちょうど日陰で小さなベンチ?があったのでお昼休憩をとった。デザートに2つめの柏餅も頂いた。昼食後は下山。北山へ。この山一体は岩()だらけで砂()の道がほとんど無い。今日が晴天で良かった。北山へ下る人はいなかったので慎重に下った。小高御位山、中塚山を経て北山登山口に出る予定が少しずれて下山(13:30)。計画では鹿島神社に戻りバスで駅に向かうようだがバスが16:10になるので曽根駅まで30分ほど歩いて帰った。1人でもとても楽しい山行だった。

高御位山は岩尾根が続き展望が楽しめるため『播磨アルプス』と呼ばれている。また他の『アルプス』にも行ってみたい。


※4月26日と51日は雨天のため中止となりました


20224月9日(土) 兵庫県 中山連山(山本~清荒神)  

 

CL:MY 参加者:4名 

8時半に阪急山本駅に集合し、平井集落を経て、9時から登山開始。今日はミツバツツジが目当てで、いつもと異なる登山道から入山した。まだ山桜も咲いていたが、すぐに満開のミツバツツジに出会う。進んでも進んでも花また花のトンネルが続いている。この時期ならではの至福の光景だ。一行は10時に稜線に出ては花に囲まれつつ歩行を続け、12時前に最高峰到着。昼食後、下山を開始し、中山寺奥の院を経て2時半に清荒神清澄寺着となった。快晴の空のもとゆっくり歩きで春爛漫を楽しんだ一日であった。


2022. 43日(日)奈良県 吉野 山と花見

 

CL:YT 参加者:3人

近鉄大阪阿部野橋駅から2人と京都からの参加者は橿原神宮前駅で合流し大和上市駅に818分に到着し、8:30発奈良交通 [R169ゆうゆうバス]下桑原行に乗り込むと乗客は我々のみで貸し切り状態だ。

この日の天気予報は午後から崩れるとのことで、宮滝バス停で下車し近畿自然歩道のコース変更し早めの下山を考えた。

すると初参加のMさんが「雨は降りませんよ。いつもそうなんです。」とのこと。

半信半疑で歩き始める。

 バス停の前に老舗といった風情のある味噌屋があり、メンバーが食いつくが残念ながら開店前。

近くの宮滝遺跡を見に行く。ここは天武天皇・持統天皇など歴代の天皇がたびたび訪れた吉野離宮があった場所である。

そうこうしている間に味噌屋さんの梅谷醸造元がオープンする時間となり買い物することにした。店内はぷうんと麹のかおりがした。

買い物後、吉野川の橋の手前の公民館前で準備運動して歩き出す。このルートは近畿自然歩道となっている。

喜佐谷川沿いにしばらく行くと左手に桜木神社があり道中の無事を祈願する。

川沿いに上っていく谷道はやがて山道となり右は象山(きさやま)、左は三船山で、いくつか滝も見ることができた。また小さな花がたくさん咲いており初めて見るクロモジの花であった。

元気のいい中学生集団に先を越されながら、上り詰めると上千本に到達する。目前に桜の花を見ながら斜面地で食事を取る。ここからは観光ルートになり人通りも増える。今年は寒かったせいか花はまだ早いが、ところどころきれいに咲いている。中千本に入りよもぎ餅を食べ、カフェでコーヒータイムを取りながら観光気分で歩く。金峯山寺といえば本家の蔵王権現様。国宝仁王門の大修理勧進として特別ご開帳されており、1600円で文化財の保護にもなるので見せていただく。3体の秘仏本尊の圧巻のお姿を間近で見ることができた。

下千本ではミツマタ、ボケの共演も見られた。花を見ながら坂を下って吉野駅から急行に乗り込み解散となる。

結局雨はパラリとも降らずにMさんの言葉通りとなった。

おつかれ山でした。


2022321日(月・祝) 武庫川峡谷 旧福知山線廃線跡

Cl.MY 参加者:1

 

JR生瀬駅からの単独行となりましたが、天候も良く快適なハイキング日和でした。桜の園(亦楽山荘)の山桜はまだつぼみが固かったものの、桜森の会の方々が登山道の掃除や山肌の手入れをされており、今年も山の斜面一杯に咲く山桜花を楽しませてもらえそうです。感謝感謝!ゆっくり歩いてお昼過ぎにJR武田尾につきました。


 202236() 六甲山縦走 第2回 菊水山〜鍋蓋山

コースリーダー:YM 参加者4人

 

神戸電鉄鵯越駅に9:15に集合

すぐに出発、途中の公園で準備体操、コースリーダーから本日のコース説明を聞く

鈴蘭台下水処理場前を通過、山道に入る。橋を渡り急な坂が続く、丸太段や階段が非常に多く、頑張って菊水山山頂に到着、雪が降りだしとても寒い。

少し休憩をとってから出発

下って、天王つり橋を通過、その後またまたキツい上りが続く、身も心もヨレヨレになって鍋蓋山に到着、頂上からは、菊水山、高取山、鉢伏山淡路島が見える。

お昼ごはんタイムを終え、ここからは下り、太龍寺に寄り市ケ原を越え、茶店でおでんとビールをいただきました。とっても美味しかったです

(ごちそうさまでした)

布引の滝を通過、新神戸駅で解散でした。皆様お疲れ様でした。とても楽しい山歩きでした。

HY記


2022年220()【滋賀県】岩根山 

本来なら催行でしたがCLの体調が悪く中止としました


2022213日(日) 兵庫県 六甲山(御影ー石切道ー紅葉谷道ー有馬) 雨天中止

なお、催行前日(12日)にCL予定者が、下見に行って氷瀑を撮りましたので、アップします。


202226日(日)   【奈良県】 三峰山

参加者:3人 CL:YOS.M

 

早朝7時、集まった3人は鶴橋7:09発近鉄五十鈴川行き急行で榛原へ。この時期だけの臨時バス霧氷号で910分ごろにみつえ青少年旅行村に到着。9:30に歩行を開始した。ここ何日か寒さは厳しいのに、ヤマップ情報によると前日は「無」氷であった由。今日もお目当ての霧氷が見られないかもしれないので、今回は氷瀑を期待して不動滝コースをとった。雪も少なくアイゼン無しで進むと、不動滝では端っこと上部が凍り、部分氷瀑を見ることができた。高度が上がると少しずつ積雪は増えるが、霜柱は全くない。今年は山も乾燥している。一行は早くも11:00過ぎに避難小屋に到着したが、外は風がきつく、登山者がどんどん入って来るので、20分で昼食タイムを終えて小屋を出る。雪の中を暫くゆくとカワイイ霧氷が見えだし、吹雪の中を進むうちにそれがどんどん育ってゆくのがわかる。11:45に山頂に着くが、この辺りはまさに霧氷林になっていて、来た甲斐があった。けれど雪と強風の中で寒さもキツイ。写真を撮ってすぐに下山を開始し、12:00に八丁平着。もう霧氷は全くない。一行は新道ルートで下山したが、ここは距離も長くアップダウンもあるので利用者は少ないようだ。2時前には青少年旅行村に帰還し、2:30発のバスで姫石温泉へ。冷えた身体をゆっくり温め、気分も爽快となった。6時前に鶴橋駅で解散したが、無駄のない充実した冬山行であった。


2022123() 【滋賀県】 びわ湖バレイ アルペンスキー

参加者:3人 CLYT

 

午前8時少し前に新大阪駅に集合した一行は雪道仕様のプリウス号で一路びわ湖バレイを目指す。渋滞もなく9時過ぎに駐車場に到着し、レンタル手続きのあとロープウェイで一気に山上へ。

ン十年振りにスキーをするメンバーもおり、最初は緩斜面で足慣らしする。徐々に慣れてきたので中級コースへと足を延ばす。休憩で入ったレストハウスで食事後、リフトに乗り頂上へ登る。ここからは琵琶湖が一望でき雲を下に見ることができた。

下りは上級コースを選択したが、全員何とか降りて来れた。スキーは自転車と同じで時間が経っても乗り方を忘れないというが、まさにそうであった。

天気は曇りで滋賀県にしては気温が低く、日が高くなっても雪は崩れず雪面のコンディションはよかった。

みんな転んだが、怪我なく楽しめた。

予報通り2時を過ぎた頃から雪がチラつき出し、視界も悪くなってきたので無理せず早めに上がった。

スキーを脱ぎCMでやってる琵琶湖テラスに寄り、雰囲気のいいカフェレストランを覗いて(スキーブーツを脱ぐのが大変なので断念)、帰りもまたロープウェイで下山した。今回はスノーシューを選択するメンバーがいなかったが、積雪後なら楽しめそうで、機会があれば挑戦したい。

登山スタイルにスノーシューをザックに付けた人もいたので、下からスノーシューで登ってこられたのだろう。

帰りに温泉に寄り冷えた身体を解凍して帰った。

山上は雪であったが、駐車場ではみぞれ、下の道は雨であった。

また機会と要望があれば企画してみたい。


2022116() 【滋賀県】 虎御前山

 参加者:4(CL:Oz)

 天気:晴れ

 

2022年寅年初めの山行は虎御前山。とにかく【トラ】の付く山を探したのでどんな山なのか全くわからないが計画した。年末の寒波は湖北も大雪。アイゼン、寒さ対策のお願いの案内を作ったが当日はみごと晴天。暑さ対策、日焼け対策の山行になった。【トラ】が付く山なので、大勢のハイカーを予想していたがあまり人には会わず静か。晴天で暖かいが空気はひんやりして気持ちいい。前日に足を痛めたメンバーに合わせながらゆっくり歩くことにした。フカフカの雪にアイゼンは不要。わざと足跡を着けながら歩くのは楽しい。展望台から里を見下ろすと田畑が一面真っ白。そしてどかんと伊吹山が姿を現した。虎御前山は信長が小谷城の浅井を攻めた時に陣を置いた山。あちらこちらに戦国武将の陣がある歴史の山であった。同じ道を往復し駐車場に戻った。計画では下山後は近くの温泉で昼食と入浴だったが時間もあるので長浜に行きメンバーおすすめの「のっぺい」を頂いた。なんと手のひらほどのしいたけが入っているあんかけうどん。しいたけのお出汁が美味しかった。食後は黒壁ガラス館とオルゴール館を見学した。そしてまたまたメンバーおすすめのウインナーコーヒーの美味しい喫茶店でウインナーコーヒーを頂いた。そろそろ身体も冷えもう一度登山口まで戻りあねがわ温泉で身体を温めた。山、雪、美味しい味覚、温泉と福袋のような山行でした。


 2021年1225日(土曜日)

【大阪府 奈良県】 東大阪市石切駅-生駒山上-奈良県生駒駅

CL:Ok 参加者4

 

毎年生駒山に登りますが、辻小谷コースを使っていたが、今回はコースを少し北寄りのこぶし谷コースを登ることにしました。石切駅で下車し東改札を出て、旧日下駅の横を旧生駒トンネルを眺めながら山道に向かい、参道の入り口で、軽く体をほぐして、いきなり急な登り坂をスタートする。道は整備されていて、意外に上りやすくなっていた。

途中、大坂城築城などに使用された生駒石の石切場跡や展望台があり、23度休憩を取り、額田園地のこぶしの森にたどり着く、少し北寄りの道だが生駒山に向かって進む、いつもの駐車場に着くと、今回はケーブルの横の道を使い生駒山上まで行き、遊園地の山上で昼食にした。風もあり止まると寒さは少しコタエタ。食事をすますと早々に下山することにした。何時ものコースを使いケーブルの横の道を下る。宝山寺では少しコースを変えて奥の院に向かうことにした。登り坂を使って、奥の院より参拝した、奥の院でだいぶ時間を取ったが、来てみてよかった。奥の院からは、いろいろ見ながら本堂に向う、本堂の参拝の後、このお寺の休憩所でお茶と草餅でひと息つく、後はいつものコースで生駒駅に向かった。無事事故もなく到着。CL

 

追記

石切場の下に残念石のような石があり確認すると南無妙法蓮華経の石碑であった。さらにその先に祠や石仏かあり、鳥居には河内七面山との扁額があった。その一角に洞窟があり探索したが、ヘッドランプがなくスマホのライトで進むが、かなり奥深く途中で断念した。機会があれば再訪してみたい。

調べたところ、奥には石仏群があり、抜けられるらしい。

 

追々記 旧日下駅について

大正3(1914)年開業当初は日下(くさか)駅だったこの駅は大正7(1918)年には鷲尾駅に改名。皇紀2600年記念事業が行われた昭和15(1940)年にその一環で「神武天皇が東征の際に長髄彦と戦った孔舎衛坂(くさえざか)が近所にある」という理由で孔舎衛坂(くさえざか)駅となるのだが、「孔舎衛坂(くさえざか)」と「孔舎衙坂(くさかざか)」の2つの書き方があり、前者が正解で後者は誤りだが近鉄も混乱したのか切符も2種類残っている。

ただし昭和30(1955)年までこの駅が所在した村は孔舎衙村だった。

孔舎衙(くさか)は神武天皇が上陸した地。孔舎衛(くさえ)は長髄彦と戦った地となっているが、日本書紀の誤字の可能性もある。YT 


20211218()19日(日)

【兵庫県】納山会 香住 蟹の宿と山陰ジオパークトレイル 

コースリーダー:YT 参加者3

 

去年同様JR大阪駅910分の特急こうのとり2号城崎行きに乗る。日本海側は寒波の到来により、途中から真っ白な景色となる。

途中大雪の影響ですれ違い列車が遅れたり、福知山では雪の影響で倒木倒竹の伐採作業による足止めで城崎温泉駅到着が遅れた。

天気が不安定なためジオパークトレイルは明日とし、城崎散策とする。

まずは一の湯近くの麺屋ますやで腹ごしらえし、城崎温泉ロープウェイに乗る。頂上の展望台からは城崎の町並みや円山川と日本海、遠くに丹後半島まで見渡せた。

そのあと温泉寺でロープウェイを途中下車して宝物殿と本堂を見せていただいた。 

城崎温泉駅に戻り、また電車に乗ること約30分強で香住に到着する。天気が悪く送迎はありがたい。そして程なく今日の宿「味ん宿 英祥」に着いた。

香住温泉でゆっくり汗を流し、本日のメインイベント、蟹三昧だ!

蟹刺しにしゃぶしゃぶ、焼き蟹、蟹鍋にお造りや牡蠣も。ビールに地元の日本酒香住鶴をいただいて、お餅に雑炊まで食べたらお腹がパンパンに。

この日はそうそうに就寝した。

翌日は芝山駅まで山陰ジオパークトレイルを歩く。

山陰海岸ジオパークトレイルは総延長230.9km27コース)の日本で3番目に長いロングトレイルだが案内地図は大雑把だし標識はどこにもない。重複している近畿自然歩道の標識はところどころにあった。

まず宿の近くの西迎寺を拝観し境内で準備運動をする。天気は回復するとの予報であったが、歩き出すと霰や霙に雨かと思うと晴れたり、目まぐるしく変わる天気であった。山陰地方は「弁当忘れても傘は忘れるな」という言葉があるらしい。

香住集落を抜け香住漁港を通り、ジオパークと海の文化館に到着。

町立の施設で無料だが、展示は充実している。1階はジオパークと香美町の案内、2階は北前船と漁業について。また魚の剥製は種類も多くきれいであった。

そこから一部トレイルルートをショートカットしてジオパークと海の文化館館長おすすめの山珍飯店にて遅めの食事後、芝山駅まで歩いた。駅に着くと同時に1449分発の電車が来た。城崎駅でも到着が少し遅れたが、すぐに1530分発特急こうのとり22号に乗れた。1821分大阪駅に着き打ち上げ忘年会のあと解散となった。

おつかれさまでした。

 

追記 2日目早朝温泉に入ったあと、外の海辺で涼んでいたら地元の老人の漁師さんが漁船の手入れをしていた。「このあたりはやはりカニが獲れるのですか?」と聞くと、「あれはカニやない。カネや。」と言われた。今年は特に高いらしい(笑)。以前は遠くまでカニを取りに行ってたらしいが、北朝鮮に捕まりそうになり釜山経由で帰ったことがあり、それ以来近場のアワビやサザエを獲っているとのことだった。


 2021年125()【大阪府】箕面 東海自然歩道 茨木忍頂寺ー箕面

参加者5CL:YT

 

阪急茨木駅に720分に集合する。以前の竜王山クリーンハイク同様、またバスの乗り違いがあったが、忍頂寺バス停でほぼ同時刻の817分ころ合流でき事無きを得た。近くの忍頂寺スポーツ公園で手洗いを借り、入口脇で準備運動とコース説明をして、目の前のコース入り口から歩き始める。

林道状の道はゴミが目に付くが、不法投棄もあり手に負えない。上音羽屈折点で道は左に鋭角に曲がり田畑の中を通るが、休耕田か耕作放棄地もあるようだ。道を下り国道を横切ると農道に入るが、標識がなく少し道迷いとなる。泉原集落に入り素盞嗚尊神社にお参りすると、村人たちがお掃除している。大切にされているのがわかる。下の神社もお参りなさいと言われるが、少し離れており失礼する。ここからまた標識がなく、自然歩道を少し外れて道路を歩く。程なく自然歩道に復帰するが、アスファルトの道を歩いていく。ふと左下に目をやると、ダチョウの一群がいた。茨木にダチョウとは、と思っていると、その先で出会った地元の野鳥観察で歩いていた人から、あれはエミューだと教えられた。

やがて山道に入り、谷筋を登り階段を登り切ると予定通りの11時に北摂霊園に着いた。このあたりが本日の最高地点で約600mの標高だ。メンバーさんの好意で近くのCLのお墓に参らせていただいた。道はすぐに霊園を離れて、昼前ではあったが、見晴らしのいい場所で食事とする。この日は降水確率は0%であったが、少し前から雨がパラついた。しかし風もなく日なたは暖かかった。食事後自然歩道を歩いていくと、左下の勝尾寺から声明が聞こえる。下から上がってくる人に聞くと、まだ紅葉はあるという。

自然歩道を外れて勝尾寺まで急坂を降りていくと、まだ紅葉は見頃である。

自然歩道に戻り歩くと、程なく開成(かいじょう)皇子の墓でここが最勝ヶ峰540mだ。

ここから尾根道を下って行くと、いよいよここが東海自然歩道の起点だ。箕面ビジターセンターもあり、展示は充実していた。ひと山超えるあたりに雲隣展望台があり、道は一気に下り箕面大滝前の道路に出た。最盛期は過ぎたとはいえ、さすがに名所だけあり紅葉は綺麗だ。

先週で土日の一方通行規制が解かれた道路は、紅葉目当ての観光客で大渋滞を起こしている。箕面大滝もたくさんの人でごった返していて、お猿まで登場だ。ここで用事のあるメンバーさんと、途中合流の方と、記念写真後に選手交代となる。

滝前の茶屋風来坊で、ついおでんと一杯をいただき、メンバーも揃ったところで駅を目指す。

道沿いの紅葉もまだまだ綺麗だ。

途中、先ほどの店で出されたきれいな赤色カップの箕面焼の店で小品を手に入れた。

実は今日は参加者夫婦の記念日。

1630分ころから名物どて焼きの店銀鍋で打ち上げとなった。

おつかれさまでした。


 2021年1128()

額井岳(大和富士)813M

参加者:4(CL:oz)

天気:晴れ

榛原駅よりバスで天満台西4丁目まで。バス停から直ぐの公園に向かうと今日登る額井岳と戒場山が出迎えてくれた。額井岳は大和富士。毎度おなじみ富士シリーズ。さすがに今回も美しい山容。早速額井岳へ登る。のんびりとした里の風景を楽しみつつコンクリートの道を登る。直ぐに十八神社があり本日の安全祈願。ここより山道。道標に従い進めて行くと額井岳山頂。展望はいまイチだったしお昼には早く戒場山へ向かう。一気に下る。なかなか急な下り。そして上り。コースタイム通り1時間で戒場山に着いた。ちょうど12時だったのでランチタイムとしたが日陰で寒さに震えながらの昼食。早々に切り上げ戒長寺へ下った。以前戒長寺に来た時住職が居らして仏像を拝観させて頂いたとYM氏の言葉に社交家のYT氏がお願いし本日も拝観させて頂いた。素晴らしい仏さまではあったが住職の話しが長く、だんだん身体も冷えバスの時間も迫ってきたのでなんとか切り上げることができた。あとはバス停まで走るように向かいギリギリ乗車。途中の日帰り温泉に立ち寄り組と帰宅組に分かれバス車内で解散とした。温泉はトロリとし冷えた身体にありがたいお湯でした。帰りは榛原駅まで送迎バスを利用しました。


 2021年117()

奈良 柳生街道 後編 滝坂の道 円成寺から奈良駅まで

CL:吉川 参加者4人

 

前回の剣豪の道に引き続いて後編の今回は滝坂の道である。

朝駅に行くとJR環状線が人身事故で不通。駅員によると天王寺からは大和路快速が動いているとのことであったが、調べてみると事故の影響で遅れが出ている。そのため参加者に連絡を入れ、急遽全員が近鉄奈良駅に集合することとなった 。919分発のバスの時間には間に合ったが、始発でないのと団体さんがおられてバスはかなり混んでおり、立っていくことを余儀なくされた。946分忍辱山(にんにくせん)バス停で下車し、まず円成寺にお参りをする。池泉庭園(名勝)を抜け拝観料500円也を払い楼門(重文)、多宝塔、本堂(重文)、阿弥陀如来坐像(重文)、四天王像(重文)、春日堂(国宝)、白山堂(国宝)をお参りし、相應殿に安置の若かりし頃の運慶作大日如来坐像(国宝)を見せていただく。その後、池の端のスペースで準備体操とコース説明後円成寺を後にし柳生街道に入る。緩やかな坂を登って行くと墓地の横に六体地蔵があった。道は自然林から檜林、杉林となり緩やかなアップダウンが続く。坂を下りきったところが分岐で左に江戸時代の石燈籠がある。

すると農作業をしていた土地の古老が、芳山の石仏には行かないのかと問う。聞き取れなくて何度も聞くと「ほやま」と言うらしい。何でも国宝で素晴らしいものだと言う。

とりあえず近くの五尺地蔵に詣る。茶畑を上った先にあり、茶の白い花が咲いている。そこから八柱神社の横を通り、お昼となったので峠の茶屋で弁当を食べた。

先ほどの古老の言葉が気になり茶屋の主に聞くと、芳山二尊石仏は先ほど通過した八柱神社の奥から30分ほど登るらしい。 今回は石仏好きメンバーがおらずスルーしたが次回は訪問してみたい。

峠を下ると分岐だが、左に行く道は倒木のため通行止めとなっていて、残念ながら地獄谷石窟仏は見れなかった。

坂を下った分岐の先が春日山石窟仏。登りにくい斜面の上に屋根に覆われて金網が張ってあり、その中に仏様が鎮座していた。

その先を左に道を外れて行くと苔仏、さらに進むと眼下に池が見え紅葉が映えていたので、荒れ地を下って池畔の道に出た。団体ツアーの人たちがおり一緒に説明を聞いた。池を半周して石畳の道を下ると荒木又右衛門が試し斬りしたという首切り地蔵があった。先に進むと順番に朝日に映える朝日観音、夕日に映える夕日観音、そして寝仏。石の形が寝ているように見えるとか散々眺めまわすが、どうもしっくり来ない。すると案内書の説明を読んだMさんが石の裏に彫られているという。裏に回ってよくよく見れば横向きに合掌した仏様を見つけることができた。

ほとんどの人が仏様をわからずに通り過ぎて行った。

滝坂の道はその名の通り小さな滝がいくつもある石畳の坂道である。

石の燈籠を過ぎると山道を出て住宅地に入った。春日大社の森の道から参道を通り興福寺に着いた。

五重塔の特別拝観が行われており、それを見る者、買物組に一旦別れる。

そのあと再集合し、近鉄奈良駅構内サイゼリアで軽く打ち上げとなった。

前編の時と違い、天気に恵まれた。

おつかれさまでした。


2021年113日 (水・祝) 

【大阪府】高槻の古墳めぐりウォーク「三島古墳群を歩く」

CL:畠井浩 参加者12

 

JR摂津富田駅に1000集合したが、スペシャル企画ということで参加者も多かった。

まずは念入りに作っていただいた資料の配布と各自の自己紹介のあと畠井先生よりコース概略説明を行い、足の遅い1名以外は徒歩で今城塚古墳を目指す。女瀬川(にょぜがわ)沿いに歩くこと30分ほどで今城塚古墳の北西方円部に着き最初の説明。再現された円筒埴輪が一列に並んでいる。ここは大王の墓なのに自由に立ち入りができる稀有な場所で全国的に有名だ。

なぜそうなったかは、このあとの話。

陵墓を右回りに進み埴輪祭祀場へ。

色んな形の埴輪が4つのステージに並んでいる。

それからいよいよ墳丘内に入っていく。

まず大きさの割に後円部が低いのと、古墳の地形が乱れている。

これは1596年慶長伏見地震で有馬-高槻断層帯が地すべりを起こしたためである。

墳丘部から周りを歩き古墳を後にし、近くのうどん店水車で食事となる。人気店で美味しかった。

食事後は今城塚古代歴史館で展示見学。無料なのに展示は充実している。今回新発見の太鼓形埴輪も展示されていた。楽器単独の埴輪は珍しい。

歴史館を出て前塚古墳ー郡家車塚古墳ー闘鶏野神社(闘鶏山古墳)を解説していただきながら巡る。

このあたりの首長の古墳は山側に段々に高いところに作られていくが、突如下の平野部に降りてくるという。

また闘鶏野をつげのと読むのは闘鶏は占いとして行われ、闘鶏の結果は神のお告げであるからつげと読むのである。 

未盗掘の石室を保護するため古墳への立ち入りはできなくなっている。

この神社の参道は名神高速道路の上を通っているのも面白い。

ここからしばらく歩くとハニワ工場公園(新池埴輪製作遺跡)に到着。

マンションの建設予定地だったが、全国的にも珍しくて重要な大規模な登り窯、工房、工人集落が発見されたため保存されている。

ここから埴輪の道(出来上がった埴輪を古墳まで運んだ道)を通り、番山古墳・土室遺跡ー二子山古墳・土保山古墳を見て、最終目的地の太田茶臼山古墳に到着した。ここは宮内庁が指定した継体天皇陵で今日最初に見た今城塚古墳と違い墳丘の形がきれいに保たれている。慶長伏見地震の影響をあまり受けていないようだ。

宮内庁管理なので立ち入りはできずに拝所から見学する。

ここで先ほどの答え。なぜ宮内庁は時代も場所も違うこの古墳を継体天皇陵としたのか?

この古代史の大きな疑問に先生が出した答えは・・・

時は明治、政府は歴代天皇の墓を治定(陵墓の被葬者を特定すること)していった。

継体天皇の墓については本居宣長の主張や今城塚古墳のような地震で崩れて荒れていた古墳を大王墓と認めたくなかったのだろう。そこで形が整い、三島古墳群で最大である大田茶臼山古墳が継体天皇陵として治定されることとなった。

年代も合わないし、場所の記述も違うのにである。

では、この大田茶臼山古墳の本当の埋葬者はいったい誰なのか?

この古墳が出来てから、この近くにいくつもの古墳が出来てきたこと。このあたりは高台で水利が良くないのを治水で改善したところから、かなりの権力者で功績と影響力のあり、そして大和王権とは敵対せず王族の一員だったであろう人物。今城塚古墳より古い年代から、それは継体天皇の親族それも曽祖父ではないかとの大胆な推理であった。

継体天皇はこの曽祖父を尊敬しており、墓も近くに、そこに置かれる埴輪工場も今城塚古墳の近くに作らず、わざわざ太田茶臼山古墳と同じ新池埴輪工場で作らせたのではないかというのだ。

さて楽しい古墳めぐりの一日も終わり、古代史の謎も一応の解決を見た我々一行は最後に旧西国街道を通り、バスの時間が合わないため総持寺駅まで歩いて解散となった 

先生の楽しくて詳しい解説ありがとうございました。  

 

先生より 

天気もよく、暖かな一日で楽しく古墳をめぐることができました。

墓づくりにエネルギーを注いだ不思議な時代、古墳時代を感じながら、ああでもない、こうでもないと考えを巡らせながら歩くのは楽しかったです。また機会があれば古墳や遺跡をいっしょに歩かせていただけたらうれしいです。ありがとうございました。(畠井 浩)