山行報告

2020.11月~2021.10月分


2021年1022()24() 

【鳥取県】大山山系 野田ケ山 烏ヶ山

CL:I氏 参加者5

一昨年に引き続き大山がホームグラウンドのI氏にコースガイドをお願いした。

1022日 夜7時半に集合した一行は深夜11時前に倉吉シティホテルに到着。ビジネスホテルかと思いきや、温泉付きのなかなか立派なホテルであった。

 

1023日 朝7時に出発した我々は休暇村奥大山で今回のCLをお願いするI氏と合流した。

予定していた一向平(いっこうがなる)から大山滝に寄る登山ルートは通行止めとのことで川床登山口から登るルートに変更する。

クルマ2台で移動し大山環状道路沿いに駐車し、926分に川床登山口から阿弥陀川沿いに登って行く。前夜から降り続いた雨は上がっていたが、道はぬかるんでいる。

まわりにブナ林が広がっており、いつも登っている山とは景色が違う。

やがて今回の見どころの一つ石畳道となる。江戸時代に参拝のために石を敷いた道であるが、石は滑りやすく転倒者も出た。

12時頃大休峠避難小屋前のベンチで食事してから130分頃、野田ヶ山(のだがせん、1344m)に登頂した。

大山東壁が圧巻であった。

帰りは同じ道をピストンとなるが、下りはさらに転倒者が多かった。

小さな沢のような川をたくさん超えたが、数えたら30本以上あった。

天候はパラリとはしたが、雨具を使わず助かった。

442分に川床登山口から車に乗り込み540分頃休暇村奥大山に到着した。

食事後、天体観測のオプションがあったが、曇天のためロビーでの説明会となった。

 

1024日 朝バイキングで思い思いの食事を済ませてチェックアウトを済ませて出発となる。これから登る烏ヶ山(からすがせん)を眺めながら休暇村横の芝生で準備体操とコース説明。晴天である。846分にスタートし最初は道路を歩いて5分ほどで登山口に着く。登り始めは笹林の道だ。やがてブナ林が出迎えてくれる。黃葉にはあと一歩か。

昨日と違い人気の山かCM効果か登山者が多い。

登り続けて頂上直下に出て、視界が開けた場所に正面に突き出た台のような岩があった。CMで宇多田ヒカルが座ったとのことで記念写真スポットになっている。

ここからは少し危険な岩場を登る。

一旦ピークになるが、ここからさらに奥に進むと、下った先にさらに急峻な岩山が待ち構えている。滑落注意だ。3点支持は必須だ。恐怖心に打ち勝ちながら登り切ると大きな岩があり、烏ヶ山山頂(1,448m1130)だ。大山南壁が眼前に迫る。昨日見た角度とはまた違う。

我が会のネームプレートを取り付けて、来た道を下山する。

宇多田ヒカル岩が分岐点で、登った道と反対の尾根道を下るが滑りやすい。

この日も転倒者が続出である。

時々振り向くと、左手に特徴的な形をした烏ヶ山がよく見え、あそこに登ったのだという満足感に浸った。

延々とブナ林が続く。大きなブナの木もいくつもあり、ブナの木一本が8tの水を溜めるならこれは10tブナだなどと話しながら進む。

下る我々の前には休暇村からは見上げた象山が下に見える。まさに象のような山容である。

時間があればここも登りたかったが今回は下山ルートを進み、新小屋峠で道路を横断し、最後のブナ林の中でブナに包まれながら至福のコーヒータイムとした。

下山口は休暇村の裏手であった。1422分下山。

全員が転倒したが、無事でよかった。

泥靴のままきれいな休暇村に入るのが憚られたため、玄関手前で登山靴を地面に叩きつけて土を落とす様子は「砧を打つ女」のようであった(笑)。

3時頃に休暇村駐車場でI氏にお礼と互いの無事を祈って別れて、我々はICから高速に乗り順調に帰るはずが、新名神でまさかの6台がからむ事故渋滞。中国道が工事で通行止め期間のためWショック。渋滞の解消が見込めないと判断し西宮北ICで降りるも下道も渋滞だ。有馬に逃げるもまた山道で渋滞。Uターンして芦有ドライブウェイへ。

6時過ぎに東六甲展望台で素晴らしい夜景を堪能でき、有料道路の元は取ったか。

西宮戎神社前の王将で食事し8時頃に江坂駅で解散となった。

遠回りはしたが、渋滞はなんとか回避できた。

 烏ヶ山は一昨年、雨天で中止になったため再挑戦だったが、ご縁をいただいてよかった。

しかし、大山滝は見れずに残念だった。

 

〈疑問〉大山もそうだが、今回の2つのも山と書いて「せん」と読ませる。

これは中国地方の読み方なのか?

一向平(いっこうがなる)も読めない。

「がなる」とは何なのか?

詳しい方がおられたら教えていただきたい。


 2021年1017()

【兵庫県】 丹波 三尾山

CL:吉川 参加者:6人

午前730分に上新庄駅で3人、810分の予定時間通り宝塚駅で3人をピックアップした日産セレナ号は丹波へ向かう。しかし高速道路が事故渋滞のため、西宮北インターまでは下道を通る。国道はバイパス化され、思ったよりスムーズに流れている。高速は順調だが、篠山インター出口はこの時期は枝豆を求める観光客で渋滞している。我々は一つ先の春日インターで降り、しばらく走ると山の漢字のような三つの頂のある山が近づいてくる。今日登らせていただく三尾山である。

鹿よけのネットを開けて登山者用の東中の登山口駐車場に車を乗り入れる。他に車はない。駐車場で 準備体操とコース説明をして歩き始める(標高190m940)

 最初は林道歩きだ。雨上がりの道は沢蟹さんがそこかしこに大量発生しており踏まないように下を向いて歩いた。

林道はやがて山道となり、程なく佐仲峠(440m1040)の分岐となり一休みする。

ここからは登りもきつくなり尾根道に出て登り続ける。このあたりは、近畿自然歩道だ。

登りきった先が本日の最高峰、三尾山主峰(1120586m)で三尾山城跡でもある。城としての遺構はあまりないが、頂上や直下が平らにならされた痕跡があり、登山道も大きな段差があった。下って行くと西峰山頂を経由する道と、山頂を避けて進む道に別れる。男性3人組は山頂を目指すが道がわからず藪漕ぎだ。しばらく進むと踏み跡が出てきたが、本道ではなく頼りない道だ。西峰山頂も何もなく、また降りて下の道に合流した。

その先が東峰への分岐で、東峰へはピストンだ。

本日最後の登り坂を登りきると12時ちょうどに東峰山頂(前三尾山)に到達した 。眺めが大変よい上に、虹が出迎えてくれた。ここでお昼タイムとする。お湯を沸かしてコースリーダー自家製の自家焙煎珈琲を淹れて、ゆっくり45分間の休憩となる。

ここからは下り下り下り!

高速の高架まで一気に降りて近道の高架沿いを歩いて、車に乗り込んだ(1420)

山では誰にも出会わず、プライベートマウンテンであった。

ここからは丹波の秋の味覚探訪である。

手始めに道沿いの美味しいと評判の枝付き黒豆をゲットし、篠山市街中心地に入る。さすがにトップシーズンで人出も多い。

次なる目標は篠山の黒豆の老舗の有名店「小田垣商店」。登録有形文化財の建物は、今年の4月に著名なアーティスト杉本博司氏の手を借り全面リフォーム。枯山水風の庭を新設し、名前も「小田垣豆堂」と変えて、マークも一新し、カフェを併設した。玄関の看板は杉本氏の筆になる。

カフェは人気で順番待ちだが、その間に買い物や店内見物しメーキングのビデオ鑑賞もした。

実は今回メンバーのSさんが、この店の方と関西学院大学時代のゼミ仲間だったとのことで、聞いてみると何と先代の社長さんで現在相談役とのこと。しかもこの日はお店におられて、お二人は大学卒業以来50数年振りの感動の対面となった。

そのうちカフェの席も空き、めいめいドリンクを飲みながら話に花が咲かせた。

店をあとにし、メインストリートで今度は柿や栗を買い込んで、車に乗りながら篠山城のまわり、武家屋敷から旧街道を観光し帰路についた。

天気が心配されたが、雨に当たらずによかった。登山道もぬかるむところはなく、蟹さんを踏まずに歩くことに腐心した。

おつかれ山でした。

 

Sさんのコメント

当方が三尾山から下山して元気そうな山歩きの格好だったので、先ず小田垣君が驚いていた。

また、老舗の種もの屋としての「小田垣商店」から「小田垣豆堂」への華麗な発展変身ぶりに当方も驚いた再会でした。

50数年も経っているのにお互いに学生時代の記憶をはっきりと覚えており、大感動の幸せなひと時を共有できたことが何より嬉しかった。

 

三尾山は下から眺めると漢字の山のような山容で、東峰、西峰、主峰(586m)3つの頂からなる丹波を代表する里山です。

かつて赤井氏の黒井城の支城である三尾城があり、城の本丸は本峰にあり西峰が二の丸、東峰に三の丸があったが、明智光秀の丹波攻めで落城した。主峰山頂には「三尾城址」の立派な石碑が有る。

 

黒豆の老舗「小田垣商店」が今年414日にリニューアルオープンしました。敷地内には、江戸時代後期から大正時代初期の間に建てられた10棟もの建物が国の登録有形文化財として登録されており、うち5棟を杉本博司と榊田倫之が主宰する新素材研究所が改修しカフェも新設、さらに杉本博司が施設中央にある庭再構成しました。

https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000004.000078114.html


 2021年103日(日)

【兵庫県】須磨アルプス 塩屋~高取山

CL.吉田 参加者4

 

快晴の日曜日。塩屋駅から洋館街を抜けて須磨アルプスへの道のりはスタートした。須磨山上遊園から見る瀬戸内海は、遠くは紀淡海峡、近くは明石大橋まで一望でき絶景である。秋の風も心地よく一行は

旗振山から鉄拐山を越え、旧高尾山おらが茶屋を経て、高尾台の町中へ。団地街を抜けると、長い階段が待っており、一歩ずつひたすら登る。いつもながらしんどいが、上の方まで来て振り返ると来し方の景色がよく見え、風の通るところで一息つく。11:35に栂尾山頂の展望台下で昼食。午後の部は横尾山から須磨アルプスの名勝馬の背である。岩の風化が進んでいて足下も危ないところが数か所あり、慎重に岩場をゆっくりと進む。東山着が午後1時。ここから予定では板宿へ出ることになっていたが、有志でもう一座高取山へ向かうことになり、一行は妙法寺の町へ出る。駅近くでSさんと別れ、3人は六甲全山縦走路の標識を頼りに妙法寺を抜け、高取登山口に着いたのが14:00。風もやんで暑さに苦しみながら登るが、女性のOzさんは軽快である。対して男2人は予定外のプラスワンで足取りが重い。高取山は双耳峰のようで15:00前後に2つの山頂を極め、2つの神社にお参りして今日の山行の無事を謝す。眼前に見える神戸の町も絶景であった。帰りは地下鉄長田駅に出て16:00の電車に乗る。三宮駅で解散。


 

2021年9月26()

【奈良県】 柳生街道 剣豪の道 柳生から円成寺

CL:吉川 参加者:6人

 

午前9時、JR奈良駅に全員が集合し911分発石打行のバスに乗り込む。始発なので全員かたまって座れた。バスは奈良市街を抜けて山道を行き、雨模様のなか10時に柳生に到着した。運賃は970円。

バス降り場前の郵便局の屋根を借りて雨支度と準備運動とコース説明をして歩き出す。雨は残念だが、霧のかかった神秘的な山並みに入江泰吉の世界だと感じ入る仲間もいた。

7分で旧柳生藩家老屋敷だが、緊急事態宣言下で中には入れず外からの見学となる。山岡荘八も住んだところで機会があれば再訪したい。そこから八坂神社、芳徳禅寺と歩き山道を登って行くと天乃石立神社に到達。天の岩戸が飛んで来たと言われる4つの大岩がそれぞれ神様に例えられており、そのさらに奥に柳生一刀石がある。石舟斎(柳生宗厳)が修行中に天狗と試合を行い、一刀のもとに天狗を切り捨てたところ2つに割れた巨石が残ったといわれ、鬼滅の刃現象で子供連れやカップルが引きも切らない。岩の前には舞台があり模造刀も置いてあり、格好の撮影スポットとなっている。自前の刀を持って歩いてるお子さんもいた。

そこから下り、柳生街道沿いの柳生陣屋跡の東屋で雨を避け食事とした。

出発しようとしたら雨足が強くなり、今日一番の降り方でしばらく様子を見たが止みそうもないので程なく出発した。

阪原(かえりばさ)峠入り口からは山道となり1501年の銘がある中村六地蔵と同じく室町時代の疱瘡地蔵と磨崖仏が続く。

柳生宗矩の妻となった伝説のおふじの井戸、藤原様式の薬師、釈迦、阿弥陀如来坐像が重要文化財の南明寺(ここも入れず)を通り大柳生の旧村落を歩いて、石室の露出した水木古墳で小休止する。

霧の発生する山並みと稲刈り間際の田圃を見下ろすとまさに日本の原風景だ。ちなみに米はヒノヒカリとのこと。その先の夜支布(やぎゅう)山口神社は巨石信仰の神社で社の後ろの地面から突き出た大岩は亀の頭のようでその周辺もよく刈り込まれている。

神社から大柳生バス停には行かずさらに先に進む。

今回柳生街道の案内板はよく整備されていたが、途中に1箇所案内板の無い分岐があって道をそれてしまう。そこから戻った分だけ遅くなり、バスの時間を気にしてペースが上がったが、無事に20分前には忍辱山バス停に着いた。無料の円成寺前の池泉庭園を散策し予定の1607分発のバスに乗り、1637分近鉄奈良駅で解散した。

おつかれ🏔でした。

 

歩行時間4時間 休憩時間 1時間40分 合計5時間40分 歩行距離11.1km 上り標高594m 下り標高460m

 

柳生新陰流、柳生十兵衛で有名な柳生の里は柳生宗厳に始まる。徳川家康の前で「無刀取り」を披露したことで子の宗矩が徳川家の兵法指南役となった。そして関ヶ原の戦いを経て柳生藩を興し大名となった。その子が十兵衛こと剣豪の三厳である。

若き宮本武蔵も剣の修行のため柳生街道を通り柳生の里を訪れている。


 2021年9月19()

【福井県】野坂岳914M

参加者:4(CL:Oz)

天気:曇り

敦賀富士こと野坂岳。山頂から海が見えると言うならば行かねばならぬ。しかし敦賀は遠かった。名神高速道路から北陸自動車道を通り3時間。登山口の青少年自然の家の駐車場には多くのクルマが止まってた。リハビリ中のメンバー1人を残して、直ぐ登山口でここより山頂まで2時間30分の表示があった。今回はひたすら登りひたすら下る。迷う分岐は無く敦賀市民の山だそう。時折トリカブトの歓迎を受け敦賀湾を眺め湿度の高さも忘れさせてくれる。やがて行者石の表示があり折角なので少し寄り道。ほんの少しの岩を登ると素晴らしい展望。もとの本道に戻り山頂に向かった。一ノ岳二ノ岳三ノ岳と通過し避難小屋。この奥が山頂。予定より少し早く2時間で到着。お昼休憩。しかし小粒の雨がひとつふたつと顔に当たり避難小屋を使わせて頂いた。野坂権現さまの前で食事を摂った。少し明るくなり再び山頂で展望を眺めに行きしばらく待つとガスの切れ目から山並みを見れたが、絶景という期待には応えてくれなかった。もと来た道で下山していると、近くでヘリコプターがホバリングしておりウインチで下降し、救助しているのが目視できた。登山者に聞くと女性3人組の1人が足がつって動けなくなったらしい。即効性漢方薬の68番を2度飲むも快方しなかったとか。気をつけないとならない。

下山後は時間に余裕があったのでスーパー銭湯で汗を流し気比神宮に参詣し昆布館でお土産を買い込んだ。帰りは湖西より一般道路で帰る。日暮れ満月には少し早い美しい月を琵琶湖越しに鑑賞。そして偶然どこかで花火がほんの1*2分ほど上がった。盛りだくさんのアフターハイクになり少し渋滞にあったがみなホクホク顔であった。往復運転をひとりで担当した頂いたTY氏にお礼申し上げます。


202189日(月)山の日

[滋賀県 河内風穴 避暑&探検 CL.吉田  参加者6

山の日の特別企画ですが、猛暑のため暑い所は避けようと河内風穴を選定しました。当日は台風9号の影響が心配されましたが、朝の状況で決行とし、一同上新庄駅北口に集合して(ゲストのM君も特別参加)、Cl.の車で現地へ参りました。霊仙山塊の河内風穴は、水が55万年の歳月をかけて作り出した鍾乳洞で、総延長は1万m以上あるといわれているものの、全容は未解明だそうです。ただ現地で実際に歩けるのは600m位でしょうか?山の中腹から潜ってゆく感じですが、下から冷気が吹き上げてきます。洞窟内はとても涼しく、温度計は11を指していました。開けた地下洞のようなところもあれば、身体を屈めて進むところもあり、岩場ではあるものの歩道も設置され(但し、濡れて滑りやすい),電灯で視界も確保されています。夏は涼味満点ですが、冬は逆に暖かいんでしょうね。

昼過ぎにこの探検を終えて、多賀大社へ。ここはイザナギ・イザナミの夫婦神を祀る由緒のある所で、社殿も実に見事でした。お参りの後で門前前通りにあるお蕎麦屋さんでご当地名物の多賀そばを昼食に頂きました。最後に訪れたのは、湖東三山の一つ西明寺。かって麓にあった沢山の僧房は信長の焼き討ちにあって焼失し、今はその山腹が立派な庭園になっています。そして山門(二天門)から上の本坊伽藍に、本堂、三重塔(いずれも鎌倉期建築の国宝)などの建物が残っています。本堂内でお寺の由緒や建物、仏像の説明を聞き、ゆっくりと過ごしました。

今日のツアー、山旅ではありませんでしたが、河内風穴では涼しさと探検気分、多賀大社では壮麗な社殿とおいしい多賀蕎麦、西明寺では名勝庭園めぐりと国宝建物に包まれた中での仏像との邂逅。1粒で3度おいしい、夏の休日となりました。


202181日 () 

【滋賀県】比良山系白滝谷 沢登り CL:YT 参加者4人

 新大阪で3人集合。815分、コースリーダーの車で出発、京都叡電一乗寺駅で1人合流し、比良山系白滝谷へと向かった。 

今回は大原ルートで坊村の地主神社に到着。お参りをして、準備運動と準備を整え、近くの明王院にもお参りしてから、林道に入る。

去年は途中までクルマの通行が出来たが、今年はできなくなっている。

林道は舗装から地道になるが、途中大きな崖崩れが発生しており、またいつ落石があってもおかしくない感じだ。

一人づつ慎重に重なった岩石を超えた。

護摩焚き場から三ノ滝入口で約1名降りて瀧を見に行く。

そのすぐ先の「覺照水」の湧き水で喉を潤す。

伊藤新道分岐を超えいつもより手前で河原に降りる。去年までの場所より川へ降りやすく場所も広い。

ここで、地下足袋で歩いてた約1名を除き、登山靴から地下足袋に履き替えワラジを装着し流れに入る。

今年の白滝谷は少し前の雨で、水量も多めだ。

それぞれ自分の体力等に合わせながら、本流、岩場を選びつつ登っていった。小さな滝や登りにくいところではコースリーダーが一人一人ロープでで引き上げていった。

水中には魚影が見え、岩にはガマガエルがいた。天気は曇りで暑い登山道とは違い、寒いくらいであった。

大きな岩の上で食事後、無理をせずに登山道の川渡りの場所から上陸し草鞋を脱いだ。

登山道は川沿いにあり、来た方向に戻る。牛コバからは林道で出発地の坊村地主神社まで無事に降りた。

車に乗り安曇川沿いの河原で自家焙煎のコーヒーで一服。

くつき温泉てんくうで温まり、着替えたあと、帰りは大原から渋滞を避け静原に抜け一乗寺で一人降り、新大阪で解散した。

お疲れさまでした。


2021年722()725() 

【長野県】志賀高原・苗場山 参加者5人 コースリーダー吉川

 

1日目 7/22() 志賀高原 渋峠

JR新大阪駅に午前740分に集合し、7:57発の新幹線で名古屋経由で長野駅に11:58到着。

お昼は駅ナカ3階の草笛にて信州名物の胡桃そばをいただく。甘くて辛くて、美味しいお蕎麦でした。

その後駅で、予約していたレンタカーで志賀高原の渋峠へ。草津白根山は近寄れないため、芳ヶ平湿地群に向かいトレッキング!岩だらけの滑りやすい道が続き、Hさんが30分ほど進んだ下りで滑り、足首をねんざしたため、前進を断念。

引き返すことにする。途中強い雨が突然降りだす。山の雨が、恐いと初めて感じました。

その後、本日の宿泊地の熊の湯温泉ホテルに向かう。

ここは、幕末の蘭学者、佐久間象山が発見したとされる温泉、緑色の硫黄温泉に浸かり元気回復。

夕食では長野の日本酒を飲み比べた。その後、ホタル観賞、ホテルのバスで送迎してもらい、たくさんのホタルが、夜の闇を舞う幻想的な雰囲気に感動して、一日目の予定終了。

HY

この日は前会長の命日、みんなで冥福を祈った。

 

山で出会ったお花 Oz記

ゴゼンタチバナ キヌカケソウ モミジカラマツ

 

2日目 7/23() 志賀高原 大沼池周回

615分から早朝登山で近くの笠ケ岳を目指す。

登山口まで車移動し、そこから頂上2,075mまでのコースタイムは20分である。延々と上り道や長い階段が続き、帰りはずっと下りである。当たり前のことだ。早朝だが何組か登っておられた。

宿の熊の湯ホテルに戻り、730分から朝食をとる。緑色の熊の湯温泉に最後に浸かり宿をあとにする。近くのほたる温泉まで車移動し、前山リフトは845分からだ。リフト降り場からは朝登った笠岳全景が見え、記念撮影してお花畑の中を歩く。

程なく渋池に到着、池巡りの最初の池だ。ところどころに熊よけの鐘がある。

志賀山入口分岐では山は目指さず池を目指す。四十八池湿原は県指定天然記念物で大変きれいな景色だ。湿原の木道を歩いていると、今朝笠岳で出会った人と再会した。朝から歩いておられ、横手山を目指すという。我々は志賀山神社の鳥居に向かいお参りしてから、さらに奥に進む。

急な坂を下りきると大沼池だ。ここの岬の神社にお参りして1130分頃レストハウスエメラルド大沼前の湖畔のベンチで宿で用意してもらったおにぎり弁当ランチとする。

湖畔の景色を楽しみ、写真とトイレをすませて左回りに大沼池を歩く。池尻から大沼池入口バス停からまた山道に入り信州大学自然教育園から1437分のバスでほたる温泉の車まで戻った。バスを降りると急な雨が降り出し何とかセーフであった。

車を出し、奥志賀高原から山道に入り、渓流沿いでコーヒータイムにし、秋山郷切明温泉に向かう。山深い平家落人伝説もある秘境である。1620分頃に切明温泉雄川閣に到着し、チェックイン後、水着に着換えシャベルを借りて中津川の河原を掘る温泉に浸かる。形を整え、熱い温泉と冷たい川水とを調整して混ぜなから、交代交代に湯に浸かる。野趣あふれる温泉である。

館内の露天風呂も入り、夕食となる。

料理も鹿、熊、猪と野趣あふれ、お酒も新潟、長野の地酒を飲み比べた。

テラスの雰囲気もよく、満月を見ながらハイボールをいただくうちに、ついつい飲み過ぎてしまった。翌日大変なことになるとも知らずに。

YT

 

山で出会ったお花 Oz記 

ミヤマタンポポ ミヤマイワニガナ アカモノ ニッコウキスゲ モミジカラマツ ミヤマカラマツ

ウスユキソウ ゴゼンタチバナ モウセンゴケ イワギク オオバギボシ ヒメオウギアヤメ

 

3日目 724() 苗場山  2145M

苗場山は長野県と新潟県にまたがり山頂は高層湿原でたくさんの池塘(ちとう)がある。事前の下調べではワタスゲがたくさんあるらしい。他にもどんなお花に出逢えるか楽しみ。長丁場のため朝食をお弁当にして頂き6時に出発し7時前に3合目の駐車場に着いたが、既に多くの車が止まっていた。ここで軽く朝食を摂り715分出発。メンバーの1人は自分のペースで途中まで登ると言うので4人で山頂を目指す。この山は3合目4合目と標識があり更に次のポイントのコース時間の記載もあるため目安になり助かる。6合目までは緩やかな登り。その先は地図で見ると等高線がかなり詰まっている。急登でクサリが付いた岩場を登る。しかし岩が階段のようになっているので足の置き場には困らない。それでも苦手の人には手こずるようでゆっくり登る。この辺りからたくさんのお花が出迎えてくれた。下って来られた方に「もう少しで景色が開けますよ」と励まされた。9合目の坪場からは木道が続き多数の池塘。まるで天国のような(我々は小天国と名付けた)小天国でゆっくり景色とお花を堪能した。しかし小天国の後にまた岩がゴロゴロする樹林に入る。一度緩んだ顔と緊張感を戻す。1115分山頂に到着。大勢の登山者がいた。景色の良い場所で、宿で作ってもらった美味しいおにぎりの昼食を摂った。ここは小天国より更に雄大で(大天国)、お昼寝をしたりゆっくりコーヒーを飲みたかったが少々雲行きが怪しい。後ろ髪を引かれながら元来た道で下山することにした。4合目でポツリと雨を感じ雨に備えたとたん雨が降りだし、あっと言う間に大雨になったが15時駐車場に無事到着した。

今回の登山についての反省点は宿を出発する際に靴のソールが片方剥がれかかったメンバーがいた。ビニールの紐で応急処置で凌いだが登山中底がパコパコしていた。いつも履いている靴でも年数が経てば劣化するのかもしれない。チェックは必要である。

下山後は湯田中温泉へ向かったが、どっしゃ降りの大雨だった。湯田中温泉加命之湯さんにお世話になった。湯田中名物の桃山風呂に浸かり、いさみ寿司さんで最後の夜の食事を楽しんだ。

Oz記

 

山で出会ったお花 Oz記

モミジカラマツ ゴゼンタチバナ ミヤマイワニガナ ワタスゲ キンコウカ チングルマ

オトキリソウ コバイケソウ ハクサンシャクナゲ

 

4日目 7/25() 小布施観光

9時前に加命之湯旅館を発ち、まず岩松院に参詣した。小布施は葛飾北斎が晩年に4度も江戸から訪れた町であり、北斎肉筆作品がいくつか残っていることで有名なところである。岩松院には本堂天井に、畳21枚分(縦5.8m、横6.3m)もある八方睨みの鳳凰が堂々と描かれている。昔は寝転んで鑑賞できたらしいが、今は椅子に座って説明を聞きながらの鑑賞である。88歳の北斎が1年かけて描いたらしいが、今から170年以上前のものとは思えないほど色彩が鮮やかであり、とても高級な膠顔料を使っていたらしい。

岩松院は福島正則の墓所としても有名であり、徳川幕府に睨まれつつ生涯を終えた名将の藩主を地元の人々が丁重に供養している姿が偲ばれる。

また信濃町生まれの小林一茶が54歳の時、この寺の池で蛙合戦を見て「やせ蛙まけるな一茶これにあり」を詠んだ。

次は高井鴻山記念館である。同翁は北斎を小布施に招いた人であり、慈善家として庶民のリーダーとして社会に深くかかわった。その高井邸を保全改装しつつ展覧しているのが同記念館であり、鴻山が幕末維新の激動期に志士や文人墨客と時局を論じた悠然楼と隣接の文庫蔵等で、鴻山の妖怪画展が開催されていた。晩年、子や孫に先立たれ、政情と自己の境遇に複雑な思いを交錯させながら、万物の魂を描くべくユニークな妖怪画を多数、自画自賛した鴻山の思いにふれあえる気がした。

一行の中には、北斎館に行く者あり、ランプ博物館に行くものあり、喫茶で暑さ凌ぎをする者あり、お昼には一同で名物のかき揚げ蕎麦を頂き、長野駅で解散した。

筆者は山靴の底剥がれが無事もったことに感謝しつつ、特急しなのの人となった。

YM


2021年74日 ()  

 【兵庫県】甲山 総会

CL:濱野 ハイク参加者6人 総会参加者7

阪急甲陽園駅を9時出発、高級住宅街を抜け、 弘法大師の九想の詩の由緒を持つという「九想の滝」に立ち寄ったあと、甲山八十八ヵ所巡りの一番札所まで歩くこと約30分。

ここから急坂や岩場を縫う山道のコース、全工程約ニキロメートルの石仏めぐりの道を歩き、最終の八十八ヵ所目の神呪寺に到達した。

寺の奥の登山口から標高309mの甲山山頂へ。山頂ではY氏の奥様手作りのキュウリのわさび漬けをいただいたり、凧揚げをしたりして、短い時間を楽しんだ。甲山を下山、甲山自然の家を抜け、昼食場所の森のカフェ グーテンタークへ。カレーやスパゲッティ、ピザ、サンドイッチにビールと湧き水コーヒーでゆっくりさせていただいた。午後からは甲山なかよし池では半夏生の群生や亀を、展望台では阪神競馬場や西宮市街の景色を楽しみ甲山森林公園を抜けて仁川百合野町地区地滑り資料館へ移動し見学。熱海での地すべりが起きた直後でもあるし、大変勉強になった。その後、仁川駅から西宮北口駅前まで電車で移動し、西宮市大学交流センター会議室にて1530‐1645分に年次定期総会を行い解散した。


 2021年6月20日( 西山古道から天王山(アジサイを求めて)

天気:晴れ

参加者:5(CL:Oz)

今回の計画も20182月に実施された阪急ハイクコースの大雑把な地図を片手に予定通り930分西山天王山駅を出発。まず西代里山公園を目指す。車道に沿って住宅地を歩く。梅雨の晴れ間の青空の下少し太陽が暑い。40分程で到着。公園から少し歩くと立石橋。ここから西山古道に入る。西山古道は道標に数字が付いているので安心。道幅は狭いが川に沿って歩き日陰があり涼しく歩けた。途中何度か立ち休憩を挟み昼食ポイントになっている広場に着いた。時間も1130分と丁度よく昼食を摂った。ここから柳谷観音へは10分程。さすがにアジサイで有名のお寺。大勢の拝観者がいた。我々も拝観料を納めまず御本尊にお詣りし奥の院までアジサイを眺めながら進んだ。ぐるりと一巡したが多くの人でなんとなく気忙しく感じた。午後からは登山となる。天王山を目指す。所々に道標もあり270.4Mの山頂へは難なく登頂。ここでcafeタイム。ゆっくり休憩しあとは下山のみ。酒解神社、旗立松展望台、宝積寺と下りJR山崎駅で解散とし阪急組はその先の大山崎駅まで歩いた。日差しはきつかったが湿度が低いのか意外にさわやかに1日だった。

                                            モリアオガエルの卵 


2021年6 13()【兵庫県】 鎌倉峡 蛍観賞の夕べ

CL:吉川 参加者5人

午後2時に阪急上新庄駅に集合した一行は セレナ 号に乗り オアシス吹田グリーンプレイス店で買い出しを行なう。名神高速は工事で通行止めだが池田から乗るので影響はない。 西宮北インターで降り一般道を少し走り鎌倉峡キャンプ場駐車場に到着。当会の会長が作った登はん訓練用のやぐらの前である。この日は登山グループが何人か訓練していた。

 山支度を整え体調がいまいちのOkさんを残し.残り4人で出発する。登り口からいきなりの急坂で岩場、鎖場と急峻な山肌を登りつめ、なんとか無事に百丈岩にたどり着く。そこからは尾根道を歩き静ヶ池に到達する。名前の通り静かな池で水面をそよぐ風が止むと鏡のように景色を映し出す。ずっと留まりたい気になる池であった。そこから少し来た道を戻り帰りはなだらかな林道山道を下りて、川沿いを歩き、人面岩前で記念撮影をする。

 駐車場に戻り、河原でバーベキューの準備を行う。Okさんが 美味しい高級肉を用意してくださり、買い出しの分も含め食べきれないほどの量であった。

夕暮れが迫るとカジカガエルの鳴き声が聞こえ出し、 その後闇が迫るとカジカガエルが泣き止み、入れ替わるようにホタルの乱舞が始まった。河原は我々だけで大変に贅沢なホタル鑑賞であった。ランタンとかの明かりを消して 蛍を鑑賞しながらコーヒーを淹れたのをいただいた。

後始末をし帰路に着いた。心配された天気であったが、雨が降らずによかった。


202166日 ()  

 【大阪府】竜王山  クリーンハイク

参加者:8

天気:曇りのち晴れ

CLYT 記録:Oz

阪急茨木市駅からのバスを乗り間違って乗車した。そのため女子軍の忍頂寺より竜王山コースと男子軍の車作より竜王山コースと二手に分かれた。女子軍は忍頂寺よりゴミを拾いながらの登山。しかし登山道はゴミが少なくあっと言う間に山頂に到着。一先ず展望台で景色を眺めて一息。その後再び山頂広場で清掃開始。広場も比較的綺麗だが一歩中に入れると有るわ有るわ宝の山、もといゴミの山。一人では拾いきれず皆に応援を頼む。そうこうしていると男子軍とも合流し総勢8人で清掃。おやつの包み紙、缶ジュースの空き缶、ペットボトル、なかには懐かしのファンタやコカ・コーラの空き瓶、どうして帰ったのか不思議に思う両足の揃った靴。ここでBBQをしたのか消し炭や使い捨てのお弁当箱などなど。ひとしきりゴミを集め少し早いがお昼休憩。その後も忍頂寺に向けて清掃は続く。正規の道は綺麗だがやはり一歩入るとゴミだらけ。わざわざ土に埋めているゴミも有った。今回回収したゴミは忍頂寺近くのスポーツセンターのゴミ庫に置かせて頂けた。(感謝します)計りは無かったが皆で持った体感で1314gのゴミを回収したのではないだろうか。


2021年530日 () 【滋賀県】金勝アルプス鶏冠山/竜王山

参加者 5人 CL.吉田

草津駅から帝産バスで上桐生へ。直行なので、20分で到着。ミーティング後、9:40に登山口から北谷線を登る。初めは緩やかな林道であるが、途中から急勾配の山道となる。樹間から琵琶湖や栗東競走馬トレセンを垣間見つつ登り息が切れる。晴天で気温もそこそこ高いが、梅雨時であるのに空気が乾燥し、不快感はない。10:40に一座目の鶏冠山頂(491m)着。ここから一気に下り、落ケ滝ルートからの出会を過ぎると、奇岩尾根ルートの登りとなる。11:50に天狗岩下の広場に着いて、ここで早めの昼食とする。天狗岩、耳岩で湖国の眺望を楽しみ、13:10白石峰着。ここから竜王山(605m)へピストンする。途中、茶沸観音という石仏に出会うが、平安初期の作で、深く厨子を刳り貫き、浮彫で地蔵菩薩を刻み、なかなか見事である。白石峰に戻り、狛坂線を下って、重ね岩・国見岩を経て、いよいよ狛坂廃寺跡へ。ここで本日最大の見どころである磨崖仏を拝む。大きな光背に三尊を中心に幾つかの仏が浮き彫りされ、如来、菩薩の衣文も見事。よほど硬い石に刻まれたと見え、これらが摩耗もせず、1200年以上も風雪に耐えて残っている。かの白洲正子も激賞した超一級品の石仏である。できれば連れて帰りたい。後ろ髪を引かれる思いで14:40にここを発ち、さかさ観音、オランダ堰堤を経て、15:45に上桐生バス停着となった。


2021年522日 () 会長納骨式 大和郡山散策

参加者 5人 CL:吉川

新大阪駅からプリウス号にて阪神高速、西名阪にて法隆寺ICで降りる。早く着きそうなので、大塚山古墳を見学する。大きな古墳であるが、土地の古老に聞いても学術的にも誰の古墳か詳しい事はわからないようだ。全長108mという規模からして大王のものだろう。管理があまり行き届いてなく、近くの子供が入り込んで割れた埴輪を見つけ、それを接着剤でくっつけたのをまた元の場所に戻すという出来事があったらしい(畠井浩氏談)。付近の8つの古墳と合わせて大塚山古墳群として史跡になっている。

近くの廣瀬神社も立派な神社で参道は長く静かで、これから納骨式に向かう我々の心を鎮めてくれる。途中には立派な石の太鼓橋もある。神社自体も古く由緒あるようだ。

納骨式は10時からだが、少し前から始まった。浄土真宗本願寺派の僧侶を中心に親族が集まられ、その横に我々も入れていただく。僧侶の唱えるお経はとても丁寧で長く、我々も経本を見ながら口唱し、会長畠井修氏(法名 釋修岳)の遺徳を偲んだ。会長が好きだったパンも喪主から振る舞われた。

 

納骨式後、我々は大和郡山に移動して三の丸駐車場にクルマを置き、まずは郡山城へ。柳澤神社の奥が天守台できれいに整備され、見晴らしも良く西は生駒、金剛、葛城山、東は若草山や薬師寺東塔西塔まで見渡せる。目の前には重厚な明治建築の城址会館があり、奈良ホテルを彷彿させると思ったら元々興福寺境内にあった図書館を移築したもので、築年も奈良ホテルより1年古い。今は学校として使われており、土日だけは見学できる。ここで説明を受けた方から大和郡山の見どころについても写真を見ながら詳細に聞き、このルートで歩くこととする。

城を出て市街に入るが、戦災に遭っていないせいか古い建物が残っている。

柳町商店街を歩き和菓子の菊屋さんに立ち寄る。創業天正13年という老舗で天井や壁には菓子の木型が飾ってある。名物の城の口餅や若鮎を各々買っていく。

その先の紺屋町は道の真中に水路が流れ往時は布を晒したのだろう。菊屋さんおすすめの季節料理翁もこの道沿いにありお昼とする。和室の個室を使わせていただき、料理も刺し身は9種、天麩羅は10種と海の無い県とは思えない質と量で大変に満足した。斜め前には金魚グッズを売る店があり、その奥が金魚すくい場となっている。何十年か振りに挑戦するメンバーもいたが、この時期は金魚が大きく成長してすくいにくいようだ。並びの紺屋さんの作業場やお座敷と調度品を無料で見学させていただく。昔ながらの藍で染めているそうだ。

そこから北上し洋館を見に行く。以前は病院として使われた建物で屋根はとんがり、外壁はハーフティンバー様式だが古いままではなく、きれいに手が入っている。

来た道を戻り三大稲荷神社のひとつで源義経ゆかりの源九郎稲荷神社にお参りする。このあたりが昔の遊郭で当時の廓の建物が4棟残っていた。

そのうちのひとつ町家物語館はきれいに整備され耐震工事もして公開していて、ボランティアさんが説明してくれた。年代物の木造3階は貴重だ。見学後ここの1階でコーヒータイムとし、金魚と猫の手作りグッズを手にいれた。

郡山を存分に堪能したので、駐車場に戻り帰途につく。梅田で解散、おつかれ町でした。

早くに梅雨入りしたが天気に恵まれてよかった。

大和郡山は初めてのメンバーもいたが、なかなかに興味深い町歩きであった。

 

ハーフティンバー

イギリスのチューダー様式に見られる木造建築構造の1つで、柱や梁、筋交いなどの骨組を細かく数多く外観に露出させ、その間の壁面をレンガで埋めたりスタッコ塗りで仕上げたものです。名称の由来は、壁とその他の部分が半々の印象だからというものや、15世紀後半に木材が値上がりしたため材料を半分に細く切って使ったからというもの、あるいは製材せずに丸太を半分に割ったまま使ったからというものなど、諸説があります。


2021年59()雨森山

参加者:5(CL:Oz)

天気:晴れ

10時に能勢電鉄日生中央駅を出発。丹州街道は田畑を眺めながら僅かに登りながらゆるゆると歩く。青空の下とても気持ちいい。予定通り30分程で雨森山登山口に着いた。ここから約300Mの高さを登る。案内板に「登り40分」とあった。作業中の地元のおじさんに頑張ってと声援を受けた。脚力の弱い人に合わせてゆっくり途中何度か休憩を挟みながら登る。少しバテかけた頃我々の先に紫色の美しい見事な桐の花を付けている大木が有ったので皆に声を掛けしばし足を止めた。近づくと足元にたくさんの桐の花が落ちていた。想像以上に花は大きく色は上品な薄紫。ほのかに甘い香りがした。桐の花に元気を貰い山頂に到着。山頂からは北摂の街並みが見渡せた。登りは時間が掛かったが下りは一気。下りきり国道173号に出た。正面に知明湖。ここから湖をぐるりと歩き日生中央駅に戻る予定。まず北上し龍化の滝。小さいながらも美しい。もう少し北上し龍化のつり橋を渡り湖の対岸に進む予定だったがなんとこのつり橋は通行止めになっていた。地図上では更に北上すると別の橋があるようなので大回りになるが山に戻るよりいいだろうと考え進んだ。地図の通り対岸に渡る橋を渡り南下し予定の龍化のつり橋まで余分に歩いた。湖の傍を歩くので気持ち良く歩いたが余分に歩いたためか歩くペースが落ちている人達もいた。一庫ダム展望台では疲れたためか展望台に上がらない人達もいた。駅まで残り30分。どんどんペースが落ちトホホな山行きになった人達もいたようだった。今回雨森山を計画するに当たり阪急電車の案内を参考にしたが2017年の頃のもので道が変わる可能性があると記されていたが「まさか」だった。しかし天気に恵まれ楽しい山行きだったと思ったのはCLだけだったかも。


2021年52日 ()

【兵庫県】八上城阯高城山 重森美玲庭めぐり

コースリーダー:吉川 参加者4人

新大阪に8時に集合した一行は水素車ミライに乗り込み、丹南篠山口インターを降りて、予定通り八上城登山口住吉神社前駐車場に車を止め、9時ころ歩き出す。帰りの登山道が荒れているとの告知を受け、予定とは逆ルートにて登ることにしたため、登り口でまごついた。

川沿いに山道を登りだすと、途中滝を目当てのご夫婦と追い越し追い越されながら上り続け、尾根道に出てからはなだらかな道となる。茶丸跡、はりつけ松跡、池東番所、蔵屋敷跡を通り、高城山頂上(459m)でもある本丸跡に1030分ころ到着した。眼下には篠山城のある篠山市街が見渡せる。休憩と記念写真後、来た道とは逆方向に下り始める。二の丸跡、三の丸跡、右衛門丸跡、岡田丸跡、下の茶屋丸跡を通り1130分ころ下山口の住吉神社に到着した。天気は微妙であったが、登山中は降られなくてよかった。

食事の予約まで時間があったため、メンバーの提案により丹波古陶館、篠山能楽資料館に見学し1230分から篠山城横の如月庵(にょげつあん)で焼猪定食をいただく。ここのお庭も重森三玲作である。食事後、正覚寺住吉神社本休寺と重森三玲作のお庭を見て回る。石像寺は離れているため次回の白毫寺の際にでも行くようにしよう。

帰りに三田の永澤寺で牡丹の花を見て帰った。

寺名は「ようたくじ」地名は「えいたくじ」と読む。

お疲れ山でした。

 

  当初予定していた無鹿リゾートは緊急事態宣言のために休業となったため、食事の場所が変わりました。

本来は白毫寺の藤鑑賞の予定でしたが、今年もコロナで中止になりましたので、代案です。

 

八上城(高城山)

 戦国時代波多野氏の居城で壮絶な籠城戦を経て明智光秀に攻め落とされました。城主の助命を織田信長が聞き入れなかったため、光秀の生母がこの城で磔にされたという伝説もあります。別名丹波富士。

 

重森 三玲(1896年ー1975年)は、岡山出身で昭和期の日本の作庭家・日本庭園史の研究家。

日本美術学校で日本画を学び、いけばな、茶道を研究し、その後庭園を独学で学ぶ。

三玲が作庭した庭は、力強い石組みとモダンな苔の地割りで構成される枯山水庭園が特徴的であるとされ、代表作に、東福寺方丈庭園、光明院庭園、瑞峯院庭園、松尾大社庭園、岸和田城 八陣の庭などがある。 イサムノグチとも交流があった。

三玲の名は落穂拾いのミレーから。子供にもヨーロッパの偉人に因み、カント、コーエン、ユーゴー、ゲーテ、バイロンと命名した。

京都吉田神社の重森三玲庭園美術館は孫の三明氏により運営


 2021年4月25日(日) 【兵庫県】向山

参加者:4人 CL:Oz

天気:晴れ

丹波の向山が生み出す水は麓水分かれ公園で日本海側と太平洋側に分かれる日本一低い分水嶺。4月中旬がヒカゲツツジが群生し花のトンネルが現れると聞く。今回自家用車を出しても良いとの好意に甘え計画した。上新庄駅に集合し7時30分出発。途中1度休憩を取り向山の登山口近くの駐車場にクルマを停め準備を行った。9時20分登山開始。登り初めはなかなか厳しい急登で息が切れるメンバーもいた。立ち休憩を挟み呼吸を整えながら二ノ山、岩座展望所。のどかな田園風景を見下ろした。三ノ山からお目当てのヒカゲツツジがあるらしいがそれらしい花は無い。代わりにミツバツツジが咲いていた。四ノ山から深坂北峰、そして向山までヒカゲツツジを探しながらアップダウンを繰り返した。遠くにもしやあれがヒカゲツツジではないだろうかと話しながら向山山頂に到着。丸太のベンチがあり予定通りここで昼休憩。目の前には黒井城跡が良く見えた。後から登って来られた方に尋ねてみると今年のヒカゲツツジはもう終わったとのこと。やはり今年はどの花も早い。向山から五ノ山、蛙子峰と午後からもアップダウンを繰り返し。清水山で当会のプレートを付け剣爾山まで下った。ここから今日歩いて来た山々を眺め今日も頑張ったねと皆で誉めあった。天狗岩から最後の里山を眺め計画では鳳翔寺へ下る予定だったが水分かれミュージアムへの近道があったのでミュージアムへ立ち寄った。ヒカゲツツジが終わった為か登山者の少ない静かな山歩きだった。コロナの緊急事態宣言がまた発令され毎日どんより気分だったがそれを忘れさせてくれた素晴らしい1日だった。


2021年4月18日(日)中山連山

CL.吉田 参加者4人

前日の雨が止んで、晴天の日曜日。午前9時に山本駅に集合し、近くの公園で準備体操の後、9:15にスタート。山本の住宅街を抜け、9:30に登山口についた。このルートはミツバツツジの鑑賞にはもってこいのところであるが、今年は開花が本当に早かったようで、もう三つ葉が大きく青々と繁っており、落花も見出せない状態。雨後の晴天だけに陽光に輝く若葉は美しいが、いつもなら両手に花のトンネルであるのに何とも残念である。ただ、登り進んでゆくうちに尾根近い高さまで来ると、チラホラと残り花が出てきた。尾根ルートでも名残のツツジ花がそこここに見られ、何とか「ツツジ山行」の面目を躍如した。最高峰には12:05に到着したが、上空に寒気が入ったと思われ、急に寒くなり、天候も怪しくなってきた。早々に昼食を済ませ、12:30に下山開始。この頃から雨が降り出し、13:00に奥の院に着くまで傘をさしながらの下山となった。奥の院を出ると、天候も回復し、気温も上がってきて上着を脱ぐ。14:05に清荒神清澄寺の手前参道で解散した。


 2021年4月11日 (日) 

【大阪府】阿武山、摂津峡、芥川山城

コースリーダー:吉川 参加者4人

2週連続で雨で中止となったが、この日はいい天気で少し肌寒かった。

予定通りJR摂津富田駅発高槻市営バス 午前9時00分発 82系統 日赤病院 公団阿武山行に乗りこむ。

(9:17)大和北で降りて登山口に向かう。途中親切な方の助言を受け、ルートを進むがかえって大回りになってしまう。ルートがいくつもあるようだ。途中見晴らしのいい場所で準備運動とコース説明(9:33)。

遊歩道から山道へ、尾根道に行き当たる。そこから少し進行方向とは逆に阿武山古墳へ。貴人の墓と言われており、埋蔵物や時代から藤原氏の始祖中臣鎌足(藤原鎌足)と推察されている。尾根沿いに登り阿武山(281m)に到達(10:12)。ベンチやテーブルが整備されている。休憩して集合写真を撮ったあと下って行く。途中三葉躑躅が咲き誇り、知らないお花も咲いていた。やがて道は林道になり、転落した車や不法投棄も散見された。下りきると変電所に突き当たり(11:02)、ここからしばらく車道歩きのため一列で慎重に歩く。月見台バス停から道を外れて山道に入っていく。急な下りで川筋まで出て川沿いに遡行して行く。行者岩(11:24)、白滝(11:34)を鑑賞して摂津峡に到達(11:40)。夫婦岩を過ぎ、渓谷岩の上で各自食事を取る(11:53-12:18)。しばらく渓谷沿いの景色を見ながら行くと道は一般道になり川にはたくさんの釣り人がいた。山城入口の看板(12:28)から山道に入っていくと川沿いの崖道からを進んでいく。 人為的に造成した平らな広い場所がいくつもあり 建物が建っていた跡と推察される。山城にしてはかなり大規模だったようだ。三好山(芥川山城、181m 13:00)山頂も平らで奥は崖、まさに天然の要害となっている。整備も行き届き、この日も2人の方が鹿よけの柵を作っていた。

その横には数年前の台風で倒れた桜の花(普賢像か?)が満開であった。

眺望も良く、焙煎した豆でゆっくりコーヒータイムしたあと下山した。(13:52)

日帰温泉祥風苑前で解散(14:20)の後、風呂組は入浴と軽打上を行った。

お疲れ山でした。

歩行距離8.6km 上り457m下り528m

 

芥川山城は標高182.6mの三好山に築城されていて、「続日本100名城」に選定されています。

永正12年(1515年)頃に能勢氏により築城されて、その後主な城主は能勢頼則、細川晴元、三好長慶、和田惟政、高山右近らです。

近年整備され見晴らしも良くなっています。

摂津峡公園は桜も有名ですが、桜まつりは今年も中止です。

美人湯祥風苑のお湯濃度は温泉規格の2.5倍もあり、療養温泉にも合格する素晴らしい湯です。 

 

「 松永久秀 本当に悪人か」 2021.2.22 朝日新聞より抜粋

「足利義昭を擁しての信長の上洛にも久秀は大きな役割を果たした。信長は京に入る前に芥川山城(大阪府高槻市)で久秀と会談。久秀は大和国(現在の奈良県)を安堵された。従来は久秀が信長に降伏した、あるいは茶器を献上して大和を得たとする見方が強かった。しかし天野忠幸さん(天理大准教授)は語る。「 久秀は上洛の2年前から信長の味方で、三好長慶の死後、長老の三好長逸ら、いわゆる三好三人衆の東進を食い止めてきた。義昭の幕府は久秀や三好義継らが加わった連合政権で、久秀の協力がなければ信長の上洛は実現しなかった」」

 

続日本100名城にも選ばれた「三好山・芥川山城跡」

昨冬の発掘調査で三好長慶が建てた櫓とみられる建物が見つかりました。

高槻市観光協会公式サイト

https://www.takatsuki-kankou.org/info/1827/

 

閑話休題

伊勢物語で在原業平が藤原高子を連れて京から西国に逃げる途中、蔵で雨宿りをした場所が芥川。高子は鬼に食べられるが、実際は駆け落ちした業平らを追って来た兄達が高子を連れ戻したというのが真相らしい。

後に詠んだ歌が

 

月やあらぬ 春や昔の 春ならぬ 我が身一つは もとの身にして

 

この事件のために都におれなくなった業平の話は東下りへと続くことになる。

その後、高子は清和天皇妃となり陽成天皇を生む。業平は蔵人頭となり、宮中に参上した際、二条の后である高子の部屋の屏風で詠んだ歌が

 

ちはやぶる 神代もきかず 竜田川 唐紅に 水くくるとは

 

二人は時を経てまた結ばれたのであろうか?

一説には陽成天皇の父は業平ではないかという。


2021年328日(日)雲山峰は雨天中止になりました。


2021年3月20日 (土)

【香川県】飯野山(讃岐富士)422M

参加者:5人 CL:Oz

天気:曇り

通常は日曜日の開催であるが土、日の連休。香川県までの遠出の為翌日はゆっくりできるよう土曜日の開催とした。青春18きっぷを使用し片道4時間。相生、岡山と乗り継いで坂出駅に到着。当初は丸亀駅よりタクシーで登山口に向かう予定だったが坂出駅で乗り待ちの時間で登山口に行けると提案があり急きょ変更。タクシーで登山口にほど近いうどん屋さんに向かう。事前に調べてあったうどん屋さんで昼食。さすがに「うどん県」。とても安くて美味しい。満足し山に向かう。飯神社で準備を行った。讃岐富士こと飯野山は標高422M。登山ルートは3つ。今回は飯野町ルート。このコースが一番見晴らしが良いと聞いた。曇り空ではあるがなんとかお天気ももってくれそうな予感(期待)で登山開始。いきなりの階段の登り。満腹と長時間座りっぱなしでの登りは少したいへん。三合目の分岐より直登コースもあるが景色の良い巻き道ルートで登る。なだらかな登りを四合目、五合目と高度を上げる。目の前には象頭山や瀬戸内海、丸亀の町が一望。どこからかウグイスも鳴いている。今年の初音。もう春がやって来た。本当は九合目もビューポイントであるが山頂へ直登してしまった。山頂は薬師堂があった。先客に地元の方がいらして三角点の場所を教えてくださった。解りづらい場所にあったので危うくスルーするところであった。下りは丸亀駅行きのバスの時間も気になるので一気に下った。飯野山はどこから見ても山容の美しい三角の山。三上山(近江富士)牛松山(丹波富士)に続く三座目。登れて良かった。


 2021年 3月14日(日)【滋賀県】賤ヶ岳〜山本山

参加者:5人  コースリーダー:吉川

午前7時20分JR大阪駅に集まったのは4人、京都よりOgさんが合流となった。

青春18切符を使い、7時30分発京都線新快速近江塩津行きに乗り余呉駅に9時28分着(標高134m)。駅前の広場で輪になって準備体操とコース説明後、登山口(9:45)から登り始める。坂はなだらかだが、今日は長丁場となるので、バテないようにペースをセーブしながら登っていく。天気は申し分ないが、前日の雨でところどころぬかるんて滑りやすいところもあった。

岩崎山砦(10:00、210m)、大岩山(10:25、270m)と中川清秀の墓、首洗いの池を通り賤ヶ岳(421m)に11:22に到着し食事とする。右は余呉湖、左は琵琶湖、絶景を満喫しお誂えむきのベンチとテーブルで食事とするが、何せ今日は風が強い。12:07に山頂を後にし、リフト乗り場を過ぎて下っていく。湖北丸山(12:45、360m)、西野山(13:10、320m)、西野峠(13:45、151m)、古保利古墳群は尾根沿いに3kmにわたる大規模古墳群で、前方後円墳8基(帆立貝形古墳1基含む)・前方後方墳8基・円墳79基・方墳37基の計132基もの古墳が連なる。熊野越え(14:15、191m)からは高月駅に下るエスケープルートがあるが、皆さん頑張れるとのことなので、最終目的地を目指し山本山(14:45、324m)に到着する。見晴らしよく竹生島がよく見える。ここは城跡でもあり堀切や土塁がはっきり残っている。戦国時代は浅井氏の支城で織田方の攻撃を受け落城している。ここから山本山登山口まで一気に下り(15:30、99m)交通手段が無いので約4kmの道を歩き、JR河毛駅には16:35に到着し16:45発の電車に乗れた。

長浜駅で乗り換えて18:42にJR大阪駅に到着となった。

長丁場おつかれ山でした。


 2021年3月7日 (日) 【兵庫県南部】ゴロゴロ岳

参加者:3人 CL:Oz

天気:晴れ

ガイドブックのコピーに地図とヤマップ「3種の神器」を携え甲陽園駅を出発。住宅地を抜け北山公園に入る。ここで登山の準備。北山公園から緑化植物園を通るルート。季節の花に出会えるといいなぁと思いながら登って行く。しばらく登り休憩しようやと声が掛かる。その先に休憩に良さそうな展望台が有った。神戸の町が眼下に見え遠くは二上山まで見えた。ただ地図にもガイドブックにも展望台は載っていない。不思議だなぁと思いながら進むとどんどん下る。緑化植物園かなぁと思っていると県道に出た。ヤマップで確認するとありゃ間違いだ。仕方がないとりあえず北上。すると直ぐに緑化植物園。本当はここに出るはずだった。改めてガイドブックに従い住宅地を登る。やがて「剣谷登山口」の道標。再び山道が始まる。なかなかハードな道で途中展望の良い場所で休憩。大阪の町を楽しんだ。これからガベノ城を目指す。歩いていると後ろから「左に赤いテープがある」と声が掛かった。CLは気が付かなくテープのある左に入った。先々にあるテープに従い進むも道はかなり悪い。さすがに地図では≪破線≫だと思いながら歩いた。しかし途中で道が無くなった。さすがにこれは違うと思いヤマップ様にお出まし頂いたら大きくルートから外れている。結局左に入った場所まで戻った。本道は左に入らない。テープがあるので間違いではない、破線のコースという2つの思い込みで道迷い。本道はウソのようにきれいな道。やがて小さな道標にガベノ城とあり本日一座目のガベノ城登頂(487M)。3人座るスペースがあり展望日当たり良く30分昼休憩。ソーシャルディスタンスを保ちながら食事と会話を楽しんだ。食後はゴロゴロ岳に。途中また展望の良い場所があり寄り道。また少し違う展望を楽しみ本道に戻り歩みを進める。右側に住宅地が現れ山なのにと思っているとゴロゴロ岳の山頂(565*6M)。展望は無い。写真を撮って下山開始。道迷いしたもののコースタイムどおりで時間も余裕があったので鉄塔下広場で休憩。本来ならここから柿谷コースを外れるが道標の案内に釣られ下り一般道に出た。豪邸と外車をたくさん眺めながら芦屋川駅まで戻った。

花粉の飛散が 無くこの時期には良いコースだった。

案内には≪やや中級≫としたが≪中級≫なレベル


 2021年2月28日 (日) 【京都府】甘南備山(かんなびやま)221M

天気:曇のち晴れ

参加者:5人 コースリーダー:Oz

JR田辺駅に集合し西口に出る。駅前には一休さんの銅像。駅から一休寺と言われる酬恩寺まで「一休とんちロード」を歩く。住宅地からだんだんと風景が畑に変わる。タンポポやオドリコソウなど春を感じる風景を楽しみながら少し長い登山口まで歩く。1時間ほどで登山口に到着。石柱に「左登山口」とあったが今回は反対の右側へ進む。竹林の横を通り「ポイントAー16」から山に入る。ヒノキ林の中丸太の階段を登る。やがて雌岳の三角点(202M)に到着。展望が良く愛宕山や比叡山まで望めた。三角点の手前に「ウメの小径」がありちょうど梅が満開だったので寄り道。さらに進むと神南備神社の鳥居が見えた。お詣りを済ませここが雄岳の山頂(221M)本日の最高点。鳥居を出た所にベンチが有り日当たりも良かったのでこちらでゆっくりお昼休憩を取った。ここからは東の展望を楽しんだ。一旦下ると直ぐに展望台がありまた京都市街地の展望。目を凝らすと京都タワーも見えた。下りは「にしきぎの小径」「キンモクセイの小径」を通り「芝生広場」へ。下りきると登山口に戻る。ぐるっと一周した。帰りは元の道を駅まで戻る。途中酬恩庵で素晴らしいお庭を拝見し棚倉孫神社で珍しいズイキ御輿を見学して行程を終えた。


 2021年2月7日(日) 金剛山 1125m

天候 曇り時々晴れ

7:45 南海難波駅3階改札前集合

参加者4人 コースリーダー:吉田

予定より一本早い7:48発の急行に乗って約30分で河内長野駅に着き、発車まで半時間近くあるがとりあえずバス停に並ぶ。並び客が増えて臨時便が出ることになり、早並びのおかげで座ることができて幸先の良いスタートになった。金剛登山口で準備体操の後、まつまさ(旧しいたけセンター)からの出発(9:30)となる。登山道を暫くゆくと千早神社への裏参道(山頂へは迂回コースとなる)があり、ここを進むと石段のある本参道に出た。すぐに千早城跡の標識があり、さらに進むと千早神社に出た。ここが楠木正成の千早城本丸跡らしい。昭和初めの創建であるがシンプルながら荘厳さを感じさせる社殿である。ここの標高は660m。一休みの後、楠木塚からは結構な急坂の階段状の道となる。ところどころに山道整備用の丸太材が置かれてあり、手入れして下さる人に感謝しつつ歩みを進める。息が切れるため一合目ごと、山頂近くでは半合目ごとに小休止を取り、一行は11:00すぎに山頂に着く。運よくテーブルのある席に就けたが、気温は2度と寒く早々に昼食を済ませた。この日は偶々7日という転法輪寺の縁日にあたり、本堂の護摩焚きを見学する機会に恵まれる。五眼六臂の法起菩薩は憤怒の表情を浮かべ、その前で焚かれる火と勤行のコントラストは寒気を貫く迫力があった。住職さんの締めの説法も終わり、一行は葛木神社に向かう。金剛山の本来の山頂は、葛木岳といい、神社本殿裏に1125mのピークがあるが、神域のため立入れない。葛木一言主の神前で山行安全を一言願って下山開始。ちはや園地でのコーヒータイムを経て伏見峠から念仏坂を下る。13:38にロープウェイ前バス停着。13:45発のバスに乗り14:25に河内長野駅前で解散した。小休止を沢山とったものの、ほぼコースタイム通りで交通便にも恵まれ、無駄のない山行となった。


  2021年1月24日(日) 奈良

9時新大阪駅コンコース集合

参加者5人 コースリーダー:吉川

今回初めての試みとしてミステリーツアーを企画した。

雨天決行とし、クルマの利用とした。

行き先を告げぬままクルマは西へ向かう。

天気は良くないが、雨はパラパラでこの程度なら山に登れるとの判断で、生駒トンネルを抜け、コンビニで食料を買い、春日大社駐車場にクルマを停めた。

そう、今回の目的地は緊急事態宣言の出ていない奈良である。

雨支度をしてから、鹿に見送られて若草山に向かうが、冬季は閉鎖中のため川沿いに登っていく。

料亭月日亭を通り近くの東屋で準備運動をしてさらに登って行く。十八丁休憩舎では地元の登山者と歓談し「雨の日は緑も石もしっとりして、景色も幽玄で良いものだ」などと言いながらさらに先を進む。鶯の瀧を見るため道を外れて滝前で記念写真を撮ってから、奥の階段を上りもとの道に合流した。

12時30分ころ休憩所で食事をし、高円山を目指すつもりであったが、雨足も強くなったので下山することになった。

次回は石窟仏や地獄谷あたりも行ってみたい。

下山すると、観光客が少なく鹿せんべいに飢えた鹿に囲まれながら春日大社本殿にお参りし、椿が有名な白毫寺に行く。

ここには有名な五色椿があるのだが、開花時期が4月とのことで残念ながら見られなかったが、普通の椿や石仏、宝物館や奈良市街を一望する眺めを楽しんで帰路についた。

お疲れ山でした。


2021年 1月17日【京都府】牛松山(うしまつやま)(636M)

コースリーダー:Oz 参加者:3人(うち1人は一般参加者

天気:曇

令和3年は丑年。一番最初の登山は「うし」の付く山へ。牛松山は≪丹波富士≫の異名を持つ。山頂には金比羅神社があり下山すれば愛宕神社があり少し遅い初詣。亀岡駅より登山口までバスもあるが30分程なのでウォーミングアップに丁度よい。登る山は間近に見えるが方向オンチのCLは早速間違いそうになり登山者2人連れに「こちらですよ」と教えて頂いた。登山口には愛宕山の石柱かあった。竹林を歩くと福性寺がありせっかくなので拝観しようと思ったが個人宅の様なお寺だっので遠目からお庭を見させて頂いた。ここで準備をし10時15分出発した。大きな鳥居をくぐり金比羅神社の参道を丁石を数えながら登る。手入れの行き届いた登り易い道。途中 2回休憩を挟んで金比羅神社に到着。お詣りを済ませ東小屋で少し早いが11時30分に昼食とした。先ほどの登山者2人がいらして我らも同席させて頂いた。風も無く寒くもないが温かい食事を摂ると身も心もポカポカして元気100倍。12時のお昼のサイレンと共に出発し山頂を目指した。ここで写真を録り下山の愛宕神社に向かった。途中に三角点がありまたここでもパチリ。こちらの道は参道と違い少し荒れていた。愛宕神社でお詣りをし≪ほてい寺≫と呼ばれる養仙寺に寄った。14時にバス停に着いたが2時間以上待ちがあったのでブラブラ歩いて亀岡駅に戻った。3人の足並みが揃って快適な山登りができた。


 2020年12月27日 (日)

【大阪府~奈良県】生駒山 標高642m (新石切駅標高34 m)

コースリーダー(CL):吉川 参加者7人+飛び入り参加1人

恒例の年末感謝登山。

いつもより遅めの10時に新石切駅に集合し、初めてのメンバーさんもおられたので自己紹介から行う。

この地は初代天皇カムヤマトイワレビコ(神武天皇)が東征の際に、舟に乗り生玉神社で戦勝祈願したあと上陸したところで、草の香がしたので日下(くさか)となった。東にある生駒山から日が昇るこの地を日のもと(下)と書いてくさか、また日のもと(本)から日本の名前が生まれたとも言われる。今日の道は神武天皇の足跡を辿る道でもある。歩き始めてまずは細長いビルの裏の藤地蔵尊にお参りして石切神社の参道に入る。石切神社は神武天皇と戦った長脛彦の持つ石をも斬る剣に由来し、悪縁や腫瘍、でんぼを切ってくれるご利益がある。祭神は長脛彦と同じ物部氏で神武天皇に帰順した饒速日命(にぎはやひのみこと)である。正式名称は石切劔箭(つるぎや)神社。

神社に着くといつもお百度参りの人たちがいる。今年はその中に茅の輪があり、くぐらせていただいた。

お参りもしたあと、さらに参道を登ると土産物、漢方薬、占い屋が並び買い物をするメンバーも。商店街を抜けると石切大仏に出る。祠には大きな天狗の面。ここは赤蝮ドリンクで財を成した坂本氏が作ったもので蝮塚もある。この場所を借り準備運動とコース説明をしてさらに坂を登る。石切駅のガードをくぐり少し上ったところが上之社である。少し登っただけなのに大阪方面の眺めがいい。ここが最初に上之社として創建された場所で現在は石切神社の奥の院。現在の御本社は下之社であり、現上之社の御本殿は約460年前に下之社として造営された室町時代の建築とのこと。お参りをすませ音川沿いに辻子谷コースを行く。川沿いには老朽化した昔のお屋敷がいくつかある。製薬業で財を成したのだろうか。往時は水車がたくさんあり、薬を作り道修町を往復したという。水車が復元された水車小屋で休憩となる。ここで同じ道を登って来られた方と同道となる。しばらくして道は山道になり、かなり急なところもあるが階段を上りきったところが興法寺で役小角が開祖、大聖歓喜天が御本尊だが、不動明王も護摩堂で祀る。去年はここで食事となったが、今年は天気も良く暖かい。もう少し上を目指し12時30分頃腰掛けできる場所で食事となった。ここから頂上まではもう一息だが、登山道が閉鎖されている。やむなく道路に出て生駒遊園駐車場に着いた。今日の最高地点である。ここからは奈良方面を眼下に見ながら下っていく。宝山寺手前の岩谷の滝は修行所である。そして近くのあずま屋でコーヒータイムとする。

宝山寺は生駒の聖天さんと呼ばれここも大聖歓喜天を祀る。商売の神様として広く信仰されている。本堂の本尊は不動明王、背後の切り立った岩壁には般若窟があり、今日の山行の無事と今年一年の感謝を祈った。境内には気になる時代がかった洋館もあったが、残念ながら近づけなかった。

寺を後にして石段を降りる、ひたすら降りる。登りでなくてよかった(笑)。きれいに整備された石段であった。途中銭湯に寄りたかったが、開店時間の4時まで1時間もあるので、あきらめてそのまま生駒駅に出て解散となった。

今年一年無事に過ごせてありがとうございました。また、来年もよろしくお願いします。

帰り道、有志で軽く打ち上げとなり一年を締めくくった。

お疲れ山でした!


 2020年12月20日(日)~21日(月)

【兵庫県】納山会 香住 蟹の宿と山陰ジオパークトレイル

コースリーダー:世話人 参加者5人

日本海側は寒波の到来により、事前の天気予報で雪が心配されたため、車をやめて電車となった。9時にJR大阪駅に集合、9時10分の特急こうのとり2号城崎行きに乗る。車窓からの天気は、晴れたり曇ったり雨が降ったり、ただ大きな天気の崩れはなさそうだ。定刻の11時52分に城崎駅に着き途中下車する。ランチは夜が蟹なので海鮮は避けて但馬牛人気店に並ぶが時間がかかりすぎるため、年代物のオルゴールを聞かせてもらい店を後にする。同じく但馬牛の「お食事処ほそぐち」にて食事となった。

城崎からまた電車に乗ること約30分強で香住の一つ先の鎧駅に到着する。 ここから香住駅までジオパークトレイルがあり地図を参考に歩き始める。

山陰海岸ジオパークトレイルは総延長230.9km(27コース)の日本で3番目に長いロングトレイルで、完成を記念してキャンペーンも実施しているようだが、標識はどこにもない。途中近道の畑の中の道を抜け、ひと山(最高点122m)超えてから海に向かって進む。やっと標識が一つ現れ正しい道だと安心した。京都トレイルの親切な標識とは全然違う。

海に出たところが三田浜海水浴場だった。そこからは海岸沿いを歩く絶景の道となり近畿自然歩道とも重なり、松島、弁天島、平島と見どころが続く。

下浜の流痕では冬の日本海特有の大波をかぶるメンバーも💦

そこから程なく今日の宿「味ん宿 英祥」に着いた。

玄関でスパッツやザックカバーを外し干させていただき、靴も洗えてとても親切に対応してもらえた。

香住温泉でゆっくり汗を流し、本日のメインイベント、蟹三昧だ!

刺し身にしゃぶしゃぶ、焼き蟹、蟹鍋にお造りも。全部食べてビールに地酒飲んだらお腹がパンパンに。

翌日は少し天気は回復したが、メンバーの意見によりトレイルより大乗寺ということになった。親切な宿の人は寺まで送ってくれるという。9時過ぎに着いて我々が最初の参拝者となる。まずは貴人口の等身大の応挙像が我々を出迎えてくれた。朝まだ早いため住職さん直々の案内で見てまわる。

ここは高野山真言宗の行基が開いた寺で、かの円山応挙が一門と息子達を引き連れ滞在し大作を残した。

本堂の作品は墨の濃淡ばかりか色までも自然光の中で変わるという襖絵である。

目線の変わる老人や向きの変わる子供に鯉、長さの変わる亀等、説明されないとわからない見どころも多い。

またまわりの部屋も二階の部屋までも、部屋をまたぎ絵で繋がっているのも考えて作られている。

このような辺鄙な(失礼)場所にあるにも関わらず、参拝者はひけも切らない。

まさに応挙の何百年にもわたる恩返しであろう。

寺を後にし、香住駅まで歩き帰りも城崎で下車し、温泉や買い物、散策。そして昨日のリベンジで但馬牛の人気店「三国」で舌鼓をうち、帰路についた。

トレイルとグルメ、歴史に美術を堪能でき、一年を締めくくる納山にふさわしい行事であった。宿を紹介いただいたOkさんに感謝です。

 

大乗寺(応挙寺)

 江戸中期の画家:圓山應舉(まるやまおうきょ)とその一門の襖絵などが多数あり、別名「應舉寺」とも呼ばれています。應舉がまだ無名のころ、大乗寺の住職・密蔵上人がその才能を見抜き、学費を援助しました。それをもとに江戸へ赴き修行を経て画壇の頂点へ登りつめた應舉は、後に5回に渡って大乗寺を訪れ、子や弟子らとともにご恩返しとして、多数の襖絵や軸物を描いたと伝えられています。

 大乗寺の客殿13室には、應舉とその門弟12名の筆になる障壁画165面があり、全て国の重要文化財に指定されています。(香美町HPより)


 2020年12月6日 (日)箕作山(みつくりやま)・太郎坊山

コースリーダー:Oz

参加者:6人

天気:晴れ

R2年最後のCL。誰かに「太郎坊宮いいよ」と勧められずっと気になって計画。あちらこちらの駅から乗車し一路近江八幡へ。ローカル線近江鉄道に乗り換え。ICカード使用できず「どーするの」と声が。切符を買えばいいんですよ。2週間連続ごとごとローカル線。市辺(いちのべ)駅に到着。無人駅でした。

ガイドブックコピー片手にスタート。阿賀神社へ向かう。体操と準備をした。ここが額田王と大海皇子の相聞歌で有名な蒲生野。しばし大昔のロマンスに思いを馳せた。案内に従い登山開始。いきなり本日の1座目≪船岡山≫。そこから一旦平地に下りのどかな農道を通って岩戸山、十三仏登山口へ進む。登り始めると四国八十八箇所霊場の石仏がある。たくさんの石仏に見守られながら登っていく。どの仏さんも優しいお顔をされていた。途中休憩を取るも風も無く暖かい。目指すは十三仏。聖徳太子が爪で刻んだと伝わる。ついにそれらしい岩場に出た。さぁ十三仏はどこだどこだと探すもそれらしい石仏は見当たらない。2*3組の登山者に尋ねても皆知らない。あちらこちらと分かれて探すこと数十分。もう諦めて先に進もうかとしていたら先ほど尋ねた方がぐぐって下さり実は秘仏?で年に1度4/25前後の日曜日に御開帳らしい。(書いとけよ)。これできっぱり諦めがついて出発するとすぐに≪岩戸山≫に着いた。旗振り通信の中継地。それから雑林を少し進むと≪小脇山≫ 。先客にとてもかわいい柴犬さんがいた。ふれあいタイムを取りちょうどお昼だったのでランチタイムにした。見晴らしも良く風も無くポカポカして快適な休憩ができた。食後はアップダウンを繰り返すが緩くいつものような辛さは無い。あっと言う間に≪箕作山≫。琵琶湖から伊吹山や比叡山と湖北の眺めが素晴らしい。ここに当会のプレートを設置し最後の≪太郎坊山(赤神山)≫へ向かう。太郎坊山からは360度ぐるりと展望ができ今まで歩いた山々を振り返ることができる。下山は太郎坊宮へ。本殿の前に高くそびえたつ2つの巨岩(夫婦岩)の間を通って本殿に参拝。近江鉄道の太郎坊宮駅まで歩き帰路に着いた。

歩き始めから今日1日廻る山々がぐるりと見渡せ途中も歩いていた山も見ることができ展望も良く天気も良くR2年CL最後を締めくくるに素晴らしい山行になった。太郎坊宮も皆初めて訪れ喜んで貰えた。また来年も楽しい山行計画を考えたいと思う。


2020年11月29日(日)京都府笠置山

参加者:1人

コースリーダー:Oz

天気:晴れ

JR加茂駅から関西本線に乗り換え。2両編成のワンマンカー。久しぶりのいなかの電車にゴトゴト揺られ笠置駅。集合場所には誰もいない。久しぶりの1人山行。自分のペースで歩けるのでニヤリ。嫌いではない。

1人で出発した。駅前にどーんと元弘の役を戦っている武者人形がお出迎え。1人だけど≪リアクションの女王≫は声を上げ、廻りの人にジロジロ見られた。まず笠置寺に向かう。車道の登り口の右側に登山口が有った。アスファルト、石畳、山道と登り山門に着いた。お寺全体が山になっている。拝観料を納め矢印に従い修行場めぐりをした。弥勒磨崖仏は風化して解らなくなっていたが虚空磨崖仏ははっきりと解った。胎内くぐり、ゆるぎ石と順番に回った。

修行場めぐりを終え山門から東海自然歩道に入る。一旦アスファルト道に出て電波塔の左側の山道より山頂を目指す。右手にゴルフ場があり進むと分岐①がありガイドブックに従い右に行く。しばらく歩くとあれぇここさっき通ったぞ。ゴルフ場が 左手にある。YAMAPで確認するとあら不思議やはり戻っている。回れ右をして再び山頂を目指す。分岐②を今度は左に行く。どうやらこれが正解。「三角点こちら」の表示があった。山頂は全く展望がなかった。お昼には早いし誰もいなくて淋しいので電波塔まで戻った。またアスファルト道となり昼食ポイントを探しながら歩く。

しばらく下ると阿対(あたや)の石仏があるので寄り道。ここから柳生へ歩けそうだが予定通り笠置駅に下る。駅まではアスファルトで車が通り昼食ポイントは無かった。笠置駅からの電車は1時間に1本なので(行きに確認済)ちょうどいいタイミングで乗車した。

笠置寺は見ごたえが多く良かったが、コース全体としては全く物足りない。しかもほとんどがアスファルト。阿対の石仏から柳生に歩くほうが良いかもしれない。

参考までに笠置駅ではICカードが使用出来ないので乗車する際に切符を購入したほうが便利が良い。かさぎ温泉はコロナの影響か閉館していた


 2020年11月22日(日)奈良県御破裂山

コースリーダー:Oz

参加者:6人

天気:晴れ

鶴橋駅より桜井駅まで近鉄電車。桜井駅より奈良交通バスで多武峰で下車。準備とコース説明の後出発。朱塗りの屋形橋を通り杉木立の並木を歩いて談山神社。十三重の塔の前で集合写真を撮り各自拝観。紅葉もまずまず。コロナの影響か人出も少なく感じる。十三重の塔の西側に登り口がある。まず談山(かたらいやま)に立ち寄る。乙巳の変(大化の改新)の談合を行ったと言われる。続き御破裂山。「日本国に異変が起きる時に鳴動する」という伝説の山。生憎展望はなかった。飛鳥に向かって出発。誰も歩く人はいないが木もれびのとても気持ちいい道。多少のアップダウンがちょうどいい。念誦崛不動尊(ねずきふどうそん)を拝観し増加上人のお墓に立ち寄る。ここは多数の石仏がありMr.Yが大喜びしていた。そろそろ腹時計がお昼だと言い出した。この先三体石仏とベンチがあるらしい。まず第一お昼ポイント。しかし日陰で少し狭くもう少し頑張ってお昼予定の万葉展望台に向かった。さすがに展望台。二上山から葛城山金剛山の山々。明日香の里が一望。暖かく広いので45分の休憩を取った。あとは石舞台へ下るだけ。途中柿畑の横を通り美味しそうな柿を眺めながら。これぞ『日本の秋の里の風景』を愛で無事石舞台に到着。ここで解散。バスで帰る者。少し散策する者。飛鳥駅まで歩いて帰る者それぞれ。CLは数人と徒歩チーム。途中で野菜を買い亀石を見学し最後まで飛鳥を楽しんだ。


 2020年11月15日 (日)【京都府】嵐山(松尾山、烏ヶ岳、山上ケ峰を縦走) コースリーダー:白井 参加者:11人

嵐山・烏ヶ岳・山上ヶ峰 縦走

 雲ひとつない絶好の山行日和に恵まれ、総勢11名は簡単な自己紹介と準備運動を済ませた後、9時10分 嵐山駅をスタート 。今回は地元の寺田さん他2名のコース案内もあり、心強い。

 登山道に入ってから、かなり急な登りが続くので小休止を取りながら進む。10時00分頃、松尾山(276 m)の横を通過、10時30分 見晴らしの良い展望台に出た 。正面に比叡山、左手に愛宕山がどっしりと構え、嵯峨野・広沢の池からずっーと右に視線を移すと、何と御室仁和寺の五重塔まではっきりと見えた。10時45分 嵐山山頂(381m)に到着。戦国時代ここに嵐山城があり「1507年城主 香西本長、落城」との記載あり。

 ここからはなだらかな尾根道が続き、風も無く心地良い。11時10分 烏ヶ岳(398m)到着。時折紅葉も楽しみながら快調に歩を進めた。12時00分頃、進行方向左手に小高い山があり、どうやらここが分岐点のようだ。3座目の山上ヶ峰→の小さな案内板を確認できてほっとした。残念ながら同峰への登山道は整備されていなく一部ヤブコギの所もあった。12時30分漸く山頂(482m)に到着、遅めの昼食となった。木漏れ日のなか、食後のミカンの差し入れもあり、美味しかった。

 13時10分 下山開始。分岐まで登りと同じルートを引き返すわけだが、人が殆ど通っていない道なので注意して下り、13時30分 松尾ロータリー(林道)に到着。ここからはかなり急な下りが続き、桂川のせせらぎを聞きながらロープを伝って降りていく。14時15分 漸くトロッコ列車の線路に出てガードをくぐった。保津川下りの船に乗った大勢のお客さんが手を振ってくれるので、こちらも手を振って応えてあげた。大橋を渡り JR 保津峡駅に出て14時58分発京都行き普通車に乗り、嵯峨嵐山駅で降りて、阪急嵐山駅まで歩きここで解散。

 寺田さん他地元の方々ありがとうございました。お陰様で 健康的な汗をかいて堂々の17000歩超え(約10 km)、満足感一杯で各々家路に着いた。

                                   以上


 2020年11月1日(日)剣尾山

参加者:6人

コースリーダー:Oz

天気:晴れ

車を利用したため川西能勢口に集合し一路能勢温泉に向かった。こちらは登山者用の無料駐車場がありとてもありがたい。車を止めて準備をし登山口に向かった。今年は能勢温泉の敷地を通らせてもらった。直ぐにキャンプ場に出て登山口に着いた。先ず木の階段。登り始めは少し辛い。しかし巨石が出迎えてくれる。頑張って登ると石に大日如来さんが刻まれていた。自分の守り仏さんやと声も上がった。大日如来さんの前で呼吸を整えて更に登り行者堂に着いた。巨石に圧倒されながらしばし休憩。東の覗きから素晴らしい里の風景を楽しんだ。直ぐ行者山に着いたが標識のみ。しかしここから雑林に変わり美しい色付いた木々を愛でながら歩く。赤、黄、緑、オレンジ、茶。青空に映えて見ていて飽きない。登り一辺倒であったが疲れを忘れさせてくれる。月峯寺跡では当時に思いを馳せた。最後の急登を頑張って剣尾山の山頂。お昼にはまだ早かったが景色も良いのでランチタイムを取った。休憩後は横尾山へ向かった。一旦下りお決まりの登り返し。振り返ると剣尾山が見えた。横尾山はひっそりしていて誰もいない。これより下り。ランチタイムは少し雲も有ったがまた晴れてきて紅葉が楽しめた。やがて岩場になり能勢の郷野外センターの敷地に入った。小鳥のテラスより少し下った場所が見晴らしも良く最後の休憩を取った。ひとやすみ峠を経由して車を止めていた駐車場に無事下山した。下山後はそそくさと車に乗り込みアフターハイクのお楽しみの黒豆枝豆狩りに向かった。黒豆枝豆をゲットし皆本日一番の笑顔だった。